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「魔法少女は否定されてしまうのか?」  劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 [まどか☆マギカ]

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「魔法少女は否定されてしまうのか?」


新編では最終的に魔法少女は無きものにされてしまうのではないか?

私の妄想プロットでは、そんな疑問が浮上しました。



祈りを叶えてもらう代わりに魔法少女になる。

魔法少女によって得られるエネルギーをインキュベーターは集め、

宇宙全体のエネルギーの維持に努めている。


インキュベーターは知的生命体としての人類の進化にも深く関わっており、

大局的には共存関係にあるといえる。

魔法少女の敵が魔女であろうが魔獣であろうが、基本的関係は変わっていませんでした。



「何もかも、なかったことにするしかなかった。」

世界改変の折、まどかがさやかに対して口にしたこの釈明とも思える台詞。

これは、魔法少女そのものもなかったことにしてしまうという意味なのか?



私はこの台詞がどうにも気になるのです。



個人的には、魔法少女というファンタジックでヒロイックな存在を

否定して欲しくないという気持ちと、

そういった「超人的な力」に頼らずとも、祈りや希望の強さによって、

人類も、それが創る世界も少しずつ進化してきたはずという、

「人間の力」を信じたいという気持ちがぶつかり合ってしまいます。

お話として、どちらが美しいかな~と。



できればどちらも満たしたいと思うので、それを実現させるには

魔法少女とインキュベーターの基本的関係を崩すしかない。




例えば……、




魔法少女を介さずとも人類の感情エネルギーを回収する効率的な方法を

まどかが作り上げ、それがインキュベーターの概念となる。

彼らは直接的、積極的に人類に関与する必要性がなくなる。


一方、魔法少女は人類の希望を導く概念のような存在、つまり神のような存在として人々の心に存在する。

その神のごとき存在があるから、人は希望を持ち、それが宇宙全体のエネルギーにもなっている。


あえて言葉にすると、何だか宗教がかった綺麗事に聞こえてしまいますが、

人の希望や祈りそのものが、魔法なんだよ♪ みたいなカンジなら上手くまとまる気がするわけです。

その上で、実は魔法少女はいるんですよ~ という含みを持たせると、

プリキュア大好きな大小のお友達にも顔向けはできるかと。



もちろん大局的にまとまることが、お話としていいかどうかは別問題なので、

魔法少女否定でも、それはそれでいいかとも思うのですが。





劇場公開も今週末に迫り、かなり足早に結末の予想をしてみたのですが、

思いの外情報が開示されず、シナリオ仕立てにすることは無理でした。

それ以前に、自分には文才というものが本当にないのだと・・・・・・。


残念ながら、公開日には足を運べそうもないのですが、

明けの平日に、こっそり観にいこうと思っています。

それまではネットも見ないようにしないと。


劇場へ行ってからの感想はこちら
劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 感想

前回はこちら
「妄想プロット編」  劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 [まどか☆マギカ]

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