SSブログ
test

劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ 感想③ [感想・レビュー]

スポンサードリンク



劇場版は、もう少しボリュームのある作品にしてほしかったという気持ちもある反面、
今思うと御都合主義なシナリオや設定が気になるのも事実です。

今回からは、劇場版のどの辺が雑だと思ったのかというお話です。



岡部が居なくなってもシュタインズゲート世界線は維持され、
岡部だけがR世界線に閉じこめられる。

ここまではまだ良いとしても、世界線が変わらない状態で、
岡部が居なくなった世界の未来から鈴羽がタイムマシンで現れ、
紅莉栖に発破を掛けるというのは、考えれば考えるほど無理があります。


そもそも鈴羽はどうやって「携帯電話・電子レンジ・SERN」というキーワードを知ったのか?
特典CDドラマからすると、おそらく未来の紅莉栖の開かずの部屋にある日記でしょう。
とすると紅莉栖は一度タイムリープマシンを作っていたことになる。

しかし、作中の場合、紅莉栖は鈴羽のヒントによりタイムリープマシンを作っているわけです。

さらに、岡部が戻ってきた世界の未来にはタイムマシンは存在しないのでしょうから、
鈴羽は未来に行くことはないでしょう。
そうすると紅莉栖は岡部を助けに行けなくなる。

よくいうタイムパラドックスが生じてしまいます。
2005年では「事実を変えずに結果を変えること」に拘ったくせに、
その他の部分はグダグダになってやしませんかね?


もちろん、シュタインズゲート世界線では
どんな未来が待ち受けているかは分からず、
またあらゆる物事は収束していくわけですから、
その収束のひとつが岡部倫太郎の存在であるとするのならば、
時間を超越して収束したんだと理解すればいいのですが、
ここへ来て一元的な世界観で話を進められしまうと、世界線とは何だったのかと?


良心的に解釈すれば、シュタインズゲート世界線とは、
あらゆる可能性が考えられる柔軟な世界ではあり、
それ故にある程度のゆらぎは吸収してしまうほど構造は強固である。

言い方を変えると線が太い。
その太い世界線から外れると反動も大きく、簡単には元には戻らない。
リーディングシュタイナーである岡部は、そこから外れてしまったから、
あんなにも苦労してしまった。

タイムマシンとリーディングシュタイナーが合わさらなければ、
世界線の強制的な移動などということも起こることもなく、
シュタインズゲートの選択により、事象は収束に向かう。
故に世界は安定する。

こんな風に納得しようとしていたのですが、
特典の新録CDドラマでは、
鈴羽もリーディングシュタイナー能力者であるという事実が!

シチュエーションからすると、強いデジャヴ的な意味だとも思うのですが、
紅莉栖がしっかり認定している以上、能力者と考えてもいいでしょう。

ダメだ、もう私の手に負えない……。
どんどんほかの世界線の必然性がなくなっていく。
岡部の苦労・苦悩はなんだったのか???

最初に尺が足りないと書きましたが、このような矛盾もあるので、
下手に長くしなくて正解だったのかという思いもあります。


そもそもシュタゲは、タイムパラドックスが生じた場合、
世界線の移動というものでそれを回避していたわけですから、
世界線が移動していない状態で鈴羽を登場させるのには
無理があるんですよね。

しかし、岡部が戻ってくるべき世界がシュタインズゲート世界線でなければ、
この劇場版のシナリオは全く意味がなくなってしまうのも確かです。

もう少し無理のないやり方はなかったのかと考えさせられてしまいますね。



スポンサードリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アニメ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました
test

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。