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無事に最終回を迎えたサイコパス2。
サイコパスという作品が舞台設定であるシビュラとどう向かい合うかという物語であるので、前提としてこの設定が理解できていないといけません。
ましてや続編の場合、既存の設定をどう解釈し、それとの整合性を保ちつつ新設定や出来事を理解するというのは、これは非常に面倒くさい作業です。
確かにサイコパス2は難解で、「1」を何度も観、小説版や設定書なども見てきた私でも一瞬「?」となってしまう設定解釈や新設定や物語の展開がありました。
ただ、私たちガンダム世代のオッサンは、宇宙世紀年表やMSの系譜の拡大というものにずっ~と付き合っていますので、既存の設定と新設定がうまく符合するように「良心的に解釈する」という技を身に付けています。
この技を使って、サイコパスの世界も良心的に解釈していこうと思います。
「2」は設定がガバガバだとか、設定捻じ曲げたとかイロイロと言われているようなのですが、自分としては「よく考えてるよな」と感心することが多いですよ。
今回は、「なぜ東金美紗子in禾生局長は、ドミネーターで裁かれてしまったのか?」です。
シビュラは免罪体質者の脳を集めて作られたシステムですから、当然東金美紗子も免罪体質者。
であるなら、ドミネーターが犯罪係数を測定できないはずなのですが?
まずは既存の設定を見直してみました。
以下はアニメだと「1」の終盤、朱ちゃんがシビュラの正体を明かされ、そこでシビュラが語ったシビュラシステムの解説の小説版サイコパスの下巻からの抜粋です。
①『シビュラシステムがサイコ=パスを解析できない免罪体質者の発生は、不可避です。いかに緻密で堅牢なシステムを構築しようと、必ずそれを逸脱するイレギュラーは一定数で出現します。』
②『我々は、かつて個別の人格と肉体を備えていた頃は、いずれもシビュラシステムの管理を逸脱した免罪体質者でした。中には槙島聖護より遥かに残忍な行為を行った固体も多数、含まれています。』
③『ここにいる各々が、かつては人格に多くの問題を抱えていたのは事実です。だが全員の精神が統合され、調和することによって、個々の特性は均質化し、集合無意識の具現として普遍的価値基準を獲得するに至っています。』
まず①からすると、免罪体質者に関わらず、シビュラの管理を逸脱するものの出現を、シビュラ自身はいつも覚悟しているということになります。
「2」の場合、鹿矛囲の存在がこれにあたり、シビュラは彼の出現当初から、その扱いをどうしようかと考えていたはずです。
②は、シビュラの構成員は全て免罪体質者であると公言しているわけですから、当然、東金美紗子も間違いなくなく免罪体質者であったと確認できます。
最後の③では、集合体となったシビュラは、個々のパーソナリティーの問題点を克服し、社会的に真っ当な、集合体としての人格を獲得しているということになります。
では、シビュラの義体である禾生局長のボディに入っていた免罪体質者・東金美紗子は、どうしてドミネーターによって裁かれたのかという疑問を良心的に解釈すれば、2つの解釈の仕方が出来ます。
まず一つは、あの時ドミネーターが計測した犯罪係数は、東金美紗子個人の数値ではなく、シビュラという集合体の数値という考え方。
鹿矛囲の問いに対してシビュラが集合体のサイコ=パスを認めた結果、シビュラは自ら、集合体としての数値をたたき出したということですね。
しかしこの場合鹿矛囲の「これがお前の色か?東金美紗子。」という台詞とちょっと噛み合わないですよね。
またその直後に、シビュラそのものに対して鹿矛囲がその色を問うわけですから、集合体としてのシビュラの犯罪係数だとするのは、タイミング的にも早すぎる。
確かに、東金美紗子が構成から外れたシビュラの集合体としての犯罪係数は下がっているのですが、、ここは、あの数値が東金美紗子個人の数値であって欲しいわけです。
そこで考えられるのが2つ目の考え方。
それは、シビュラに取り込まれた免罪体質者は、シビュラの自浄作用によって、個別の犯罪係数を読み取れるようになってしまった(与えられてしまった)という考えです。
集合的サイコ=パスを認めたことで、シビュラはその正当性を確保するため、己の犯罪係数を上昇させる要因を廃棄します。
その際、何を判断基準にしたのか?
その基準はそれまでのシビュラにはなかった、新しい価値基準のはずです。
個別では免罪体質でも、集合的サイコ=パスを構成している限り、その集合的犯罪係数の変動などに関与しているわけですから、集合的サイコ=パスを認めた瞬間に、構成員は個別のサイコ=パスを逆算的・相対的に獲得してしまう。
判断基準が明確でなければ、犯罪係数を上昇させる要因を廃棄することが出来ませんし、あのように綺麗に犯罪係数0には出来ませんからね。
コンテナに収まっている脳はコンテナ側で破棄していましたが、義体に収められている脳はドミネーターによる執行と同じ手順を踏んだ。
その結果はじき出された東金美紗子の犯罪係数があれだったというのは、少し良心的過ぎますかね?
ただ、この解釈ですと「シビュラが免罪体質者によって構成されている」、「個別の人格と肉体を備えている市民の免罪体質者はシビュラは裁けない」という既存設定には抵触しません。
しかし、シビュラの一員に取り込まれた免罪体質者は、集合的サイコ=パスの測定によって、集合体の中で裁かれることになるわけです。
確かにシビュラは「新たな認識と完全性」を獲得したことになりますね。
とはいえ欠員が多くでてしまったシビュラの処理能力では、この集合的サイコパスを広く運用できないようなので、すぐにあの社会が変革するというわけではないのでしょうが。
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PSYCHO-PASS サイコパス2 11話 感想・考察②【美紗子は免罪体質なのに裁かれたけど?】 [PSYCHO-PASS サイコパス]
サイコパスという作品が舞台設定であるシビュラとどう向かい合うかという物語であるので、前提としてこの設定が理解できていないといけません。
ましてや続編の場合、既存の設定をどう解釈し、それとの整合性を保ちつつ新設定や出来事を理解するというのは、これは非常に面倒くさい作業です。
確かにサイコパス2は難解で、「1」を何度も観、小説版や設定書なども見てきた私でも一瞬「?」となってしまう設定解釈や新設定や物語の展開がありました。
ただ、私たちガンダム世代のオッサンは、宇宙世紀年表やMSの系譜の拡大というものにずっ~と付き合っていますので、既存の設定と新設定がうまく符合するように「良心的に解釈する」という技を身に付けています。
この技を使って、サイコパスの世界も良心的に解釈していこうと思います。
「2」は設定がガバガバだとか、設定捻じ曲げたとかイロイロと言われているようなのですが、自分としては「よく考えてるよな」と感心することが多いですよ。
今回は、「なぜ東金美紗子in禾生局長は、ドミネーターで裁かれてしまったのか?」です。
シビュラは免罪体質者の脳を集めて作られたシステムですから、当然東金美紗子も免罪体質者。
であるなら、ドミネーターが犯罪係数を測定できないはずなのですが?
まずは既存の設定を見直してみました。
以下はアニメだと「1」の終盤、朱ちゃんがシビュラの正体を明かされ、そこでシビュラが語ったシビュラシステムの解説の小説版サイコパスの下巻からの抜粋です。
①『シビュラシステムがサイコ=パスを解析できない免罪体質者の発生は、不可避です。いかに緻密で堅牢なシステムを構築しようと、必ずそれを逸脱するイレギュラーは一定数で出現します。』
②『我々は、かつて個別の人格と肉体を備えていた頃は、いずれもシビュラシステムの管理を逸脱した免罪体質者でした。中には槙島聖護より遥かに残忍な行為を行った固体も多数、含まれています。』
③『ここにいる各々が、かつては人格に多くの問題を抱えていたのは事実です。だが全員の精神が統合され、調和することによって、個々の特性は均質化し、集合無意識の具現として普遍的価値基準を獲得するに至っています。』
まず①からすると、免罪体質者に関わらず、シビュラの管理を逸脱するものの出現を、シビュラ自身はいつも覚悟しているということになります。
「2」の場合、鹿矛囲の存在がこれにあたり、シビュラは彼の出現当初から、その扱いをどうしようかと考えていたはずです。
②は、シビュラの構成員は全て免罪体質者であると公言しているわけですから、当然、東金美紗子も間違いなくなく免罪体質者であったと確認できます。
最後の③では、集合体となったシビュラは、個々のパーソナリティーの問題点を克服し、社会的に真っ当な、集合体としての人格を獲得しているということになります。
では、シビュラの義体である禾生局長のボディに入っていた免罪体質者・東金美紗子は、どうしてドミネーターによって裁かれたのかという疑問を良心的に解釈すれば、2つの解釈の仕方が出来ます。
まず一つは、あの時ドミネーターが計測した犯罪係数は、東金美紗子個人の数値ではなく、シビュラという集合体の数値という考え方。
鹿矛囲の問いに対してシビュラが集合体のサイコ=パスを認めた結果、シビュラは自ら、集合体としての数値をたたき出したということですね。
しかしこの場合鹿矛囲の「これがお前の色か?東金美紗子。」という台詞とちょっと噛み合わないですよね。
またその直後に、シビュラそのものに対して鹿矛囲がその色を問うわけですから、集合体としてのシビュラの犯罪係数だとするのは、タイミング的にも早すぎる。
確かに、東金美紗子が構成から外れたシビュラの集合体としての犯罪係数は下がっているのですが、、ここは、あの数値が東金美紗子個人の数値であって欲しいわけです。
そこで考えられるのが2つ目の考え方。
それは、シビュラに取り込まれた免罪体質者は、シビュラの自浄作用によって、個別の犯罪係数を読み取れるようになってしまった(与えられてしまった)という考えです。
集合的サイコ=パスを認めたことで、シビュラはその正当性を確保するため、己の犯罪係数を上昇させる要因を廃棄します。
その際、何を判断基準にしたのか?
その基準はそれまでのシビュラにはなかった、新しい価値基準のはずです。
個別では免罪体質でも、集合的サイコ=パスを構成している限り、その集合的犯罪係数の変動などに関与しているわけですから、集合的サイコ=パスを認めた瞬間に、構成員は個別のサイコ=パスを逆算的・相対的に獲得してしまう。
判断基準が明確でなければ、犯罪係数を上昇させる要因を廃棄することが出来ませんし、あのように綺麗に犯罪係数0には出来ませんからね。
コンテナに収まっている脳はコンテナ側で破棄していましたが、義体に収められている脳はドミネーターによる執行と同じ手順を踏んだ。
その結果はじき出された東金美紗子の犯罪係数があれだったというのは、少し良心的過ぎますかね?
ただ、この解釈ですと「シビュラが免罪体質者によって構成されている」、「個別の人格と肉体を備えている市民の免罪体質者はシビュラは裁けない」という既存設定には抵触しません。
しかし、シビュラの一員に取り込まれた免罪体質者は、集合的サイコ=パスの測定によって、集合体の中で裁かれることになるわけです。
確かにシビュラは「新たな認識と完全性」を獲得したことになりますね。
とはいえ欠員が多くでてしまったシビュラの処理能力では、この集合的サイコパスを広く運用できないようなので、すぐにあの社会が変革するというわけではないのでしょうが。
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シビュラの精度は新たに免罪体質者を受け入れる事でアップデートされ続けるので最終的には「全ての免罪体質者をなくす」事が目的なのでは?
つまり、マキシマの様な後発の免罪体質者から見れば東金美紗子の様な古い免罪体質者は弾かれている可能性が高い。
それでもなおシビュラ特権として身内で庇い合って見て見ぬ振りをしてたのが今までのシビュラな訳で。
シビュラの脳が取り込まれている=免罪体質者=即ち、全ての免罪体質者は犯罪者(常守朱を除く)と言う事実を忘れてはいけません。
望んでシビュラに志願したのでなければ、全ての免罪体質者は捕縛逮捕されたという事ですから。
望んでシビュラに入る事が出来るのならば、免罪体質者以外をシビュラに送り込める可能性もあり得ると思うのですが…。
個人的には東金美紗子は免罪体質者ではない例外的な脳サンプルだったのではないかと思っています。
by 2期再放送視聴中 (2019-10-07 02:02)