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劇場版PSYCHO-PASS サイコパス、2回目の鑑賞に行ってきました。
週代わりの鑑賞特典、今週は宜野座だったのですが、さすがに4日目ともなると品切れ。
捥りのお姉さんに聞いたところ、初日で配布終了だったそうです。
まずまずのリピーターが付いているということなのかな?
それよりも驚いたのが、劇場販売のグッズやパンフが完全に売り切れていました!
鑑賞の度にお土産の一つでもと思っていたのですが、そんな楽しみは残されていなかった・・・・・・。
ちみキャラの千社札があったのですが、使い道ないしなぁ。
あ、事業者名で作って備品に貼るって方法があったなぁ、今度やろうっと。
さて、2回目の劇場版鑑賞ということで、少し突っ込んだ感想を。
多少ネタバレも含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。
今回は、1回目の時から思っていた感想を書きたいと思います。
それは「作品内の時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かったんじゃない?」です。
そう思えてしまったのには大きく3つのかの理由があります。
一つ一つの理由を書いていくと長くなるので、全3回に分けて書きますね。
まず、一つ目の理由は朱ちゃんこと、常守朱に関してです。
『2』のラストシーンを思い出してください。
引越しの荷物が運び出された部屋で、朱ちゃんはそれまで御香として使っていた狡噛と同じ銘柄の煙草を消し、灰皿ごと置いて部屋を後にするんですよね。
これって『2』のテーマの1つでもあった「依存」を朱ちゃんに当てはめた時、彼女は狡噛に依存するのを止めようとしている、つまり狡噛の影を追いかけ続けることから卒業しようとしていたんじゃないか? 煙草の火を消し、住み慣れた部屋を後にするというラストシーンはこれを暗示しているのではないか? そんな風に私は考えていたんです。
『2』を単独の作品と考えた場合には、これは非常にいいラストシーンですよね。
東金に祖母を殺害され、それでも鹿矛囲という強敵と対峙し、シビュラに「集合的サイコ=パス」を認めさせたという一連の騒動の後、彼女が、そして世界が次のステップに向かって強く一歩を踏み出すということですから、締めとしては申し分ない。
が、しかし、ここから2年後、密入国テロリストの捜査上に浮かんだ、シーアンにいるであろう狡噛の情報を聞かされた彼女は酷く動揺し、また煙草を御香代わりに使います。
良心的に解釈すれば、封印していた狡噛への気持ち(本広総監督は恋心ではないと言っている)が、この事件をきっかけに蘇ったと考えればいいのですが、それだとあの『2』のラストシーンが台無しになってしまう。そんな気もしてしまうのです。
おそらく、先行して製作されていた『劇場版』の「煙草を御香代わりに使う」という演出が『2』に逆輸入的に採用されたのでしょうが、そうだとするならばあの『2』のラストシーンには含みを持たせすぎたということにもなります。
ですが、もしこれが『劇場版』⇒『2』の時系列だったとすれば、狡噛との再会を果たし、日本国外の状況を知った後ならば、『2』での朱ちゃんの強さってすごく納得がいくんですね。
自分が為すべきことが明確になっているからこその迷いの無さ、そういう公安の刑事としての型が完全に出来上がっているというというか。
『劇場版』を観ていても、なんだか『2』の朱ちゃんのほうが大人に見えたしね。
それでも心が折れそうになった時に「妄想狡噛」が現れて、もう一度初心に帰る。
ここで立ち直らなければ、再び狡噛を捕まえにいけないじゃないかって。
そういう物語のほうが、『2』のように縦に掘り下げたような深い事件に向き合うには適していたのではないかと。
この「『劇場版』の設定を『2』に逆輸入的に採用」というのは、単なるディテール合わせなら問題ないけれど、キャラクターの心情とリンクしている部分では巧くマッチングできていない気がするんだよなぁ。
次回、「作品内の時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かったんじゃない?」の理由二つ目は、宜野座についてです。
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劇場版サイコパス 感想 2-1【時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かった?】 [PSYCHO-PASS サイコパス]
週代わりの鑑賞特典、今週は宜野座だったのですが、さすがに4日目ともなると品切れ。
捥りのお姉さんに聞いたところ、初日で配布終了だったそうです。
まずまずのリピーターが付いているということなのかな?
それよりも驚いたのが、劇場販売のグッズやパンフが完全に売り切れていました!
鑑賞の度にお土産の一つでもと思っていたのですが、そんな楽しみは残されていなかった・・・・・・。
ちみキャラの千社札があったのですが、使い道ないしなぁ。
あ、事業者名で作って備品に貼るって方法があったなぁ、今度やろうっと。
さて、2回目の劇場版鑑賞ということで、少し突っ込んだ感想を。
多少ネタバレも含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。
今回は、1回目の時から思っていた感想を書きたいと思います。
それは「作品内の時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かったんじゃない?」です。
そう思えてしまったのには大きく3つのかの理由があります。
一つ一つの理由を書いていくと長くなるので、全3回に分けて書きますね。
まず、一つ目の理由は朱ちゃんこと、常守朱に関してです。
『2』のラストシーンを思い出してください。
引越しの荷物が運び出された部屋で、朱ちゃんはそれまで御香として使っていた狡噛と同じ銘柄の煙草を消し、灰皿ごと置いて部屋を後にするんですよね。
これって『2』のテーマの1つでもあった「依存」を朱ちゃんに当てはめた時、彼女は狡噛に依存するのを止めようとしている、つまり狡噛の影を追いかけ続けることから卒業しようとしていたんじゃないか? 煙草の火を消し、住み慣れた部屋を後にするというラストシーンはこれを暗示しているのではないか? そんな風に私は考えていたんです。
『2』を単独の作品と考えた場合には、これは非常にいいラストシーンですよね。
東金に祖母を殺害され、それでも鹿矛囲という強敵と対峙し、シビュラに「集合的サイコ=パス」を認めさせたという一連の騒動の後、彼女が、そして世界が次のステップに向かって強く一歩を踏み出すということですから、締めとしては申し分ない。
が、しかし、ここから2年後、密入国テロリストの捜査上に浮かんだ、シーアンにいるであろう狡噛の情報を聞かされた彼女は酷く動揺し、また煙草を御香代わりに使います。
良心的に解釈すれば、封印していた狡噛への気持ち(本広総監督は恋心ではないと言っている)が、この事件をきっかけに蘇ったと考えればいいのですが、それだとあの『2』のラストシーンが台無しになってしまう。そんな気もしてしまうのです。
おそらく、先行して製作されていた『劇場版』の「煙草を御香代わりに使う」という演出が『2』に逆輸入的に採用されたのでしょうが、そうだとするならばあの『2』のラストシーンには含みを持たせすぎたということにもなります。
ですが、もしこれが『劇場版』⇒『2』の時系列だったとすれば、狡噛との再会を果たし、日本国外の状況を知った後ならば、『2』での朱ちゃんの強さってすごく納得がいくんですね。
自分が為すべきことが明確になっているからこその迷いの無さ、そういう公安の刑事としての型が完全に出来上がっているというというか。
『劇場版』を観ていても、なんだか『2』の朱ちゃんのほうが大人に見えたしね。
それでも心が折れそうになった時に「妄想狡噛」が現れて、もう一度初心に帰る。
ここで立ち直らなければ、再び狡噛を捕まえにいけないじゃないかって。
そういう物語のほうが、『2』のように縦に掘り下げたような深い事件に向き合うには適していたのではないかと。
この「『劇場版』の設定を『2』に逆輸入的に採用」というのは、単なるディテール合わせなら問題ないけれど、キャラクターの心情とリンクしている部分では巧くマッチングできていない気がするんだよなぁ。
次回、「作品内の時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かったんじゃない?」の理由二つ目は、宜野座についてです。
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