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ガンダム Gのレコンギスタ1話「謎のモビルスーツ」・2話「G−セルフ起動!」の感想です。
すでにdアニメの先行配信で3話まで視聴しているのですが、やはりここは地上波放送に合わせて感想を書くのが礼儀かと。
地上波放送をHDDに収め、週末に小4の息子と一緒に視聴。
こちらは一度観ているので、Gレコを観る息子の様子を見ていたのですが、ドンドン表情が濁ってくるのがわかりますw
2話まで観終わったところで感想を聞くと、
「分らない言葉が多すぎるし、ベルリたちの会話変だし意味が分らない。MSもカッコ悪い。」
「それと、何だか古臭い感じがする。今のアニメじゃないみたい。やっぱりビルドファイターズ・トライが僕らのガンダム。大人のガンダムは難しい。」
う~ん、素直すぎる意見だ!
そうだよね、AGEが最初のガンダムで、ついこの間までビルドファイターズを観ていて、その続編を心待ちにしている息子にとって、富野作品は異物で難解でしかないと思うよ。
でも富野監督は「子供に観せるべきもの」として作るみたいなことをいっていたから、とりあえず一緒に観ような、解説するから。
とはいえ、クンタラの説明は少しマイルドにしておいたけど。あの世界の人種差別だって。
これも説明しづらいぞ!
我々40前後の世代は、小学校上がる前から富野作品に触れてきて、ザンボット~ZZまで(途中G7とダイオージャを挟むものの)毎年のように「新しい富野ワールド」を楽しく観てきた。もちろんその時に全てが分ったわけではないけど、それでも楽しかった。
ガンダムのヒット以降、徐々に富野語も理解できるようになり、ザブングルの頃には完全に「娯楽」としても楽しめる余裕が出来ていた。
特に小4の時、ダンバインの1話を観た時その日の衝撃は今でも忘れられないなぁ。
『ガンダムが教えてくれたこと』なんて本も出ていて、「大切なことは全てガンダムが教えてくれた」なんて人もいるのだが、私の場合、ガンダムがというよりも「富野監督が」と言ったほうが適切だと思っている。
親以外に大事なことを教えてくれた大人の一人に、富野由悠季は確実にカウントされる。
富野さんは作品の中にその時の考え方を反映させる傾向があるので、その変遷を見ていくだけでも結構面白いし、考えさせられる。
特にガンダムにおいてのニュータイプ発生論は時代によってかなり変化をしている。
ニュータイプそのものは「分かり合える人々」のことで、この定義自体に変化はないのだが、ニュータイプがどのように発生・誕生するのかといった部分が作品ごとに異なる。
ファーストガンダム~F91までは、宇宙開拓によって人間が地球の外に出ることで、脳の眠っている部分が活性化してニュータイプになるという発想だった。
これは科学技術の発展が人間を幸せにすると思われていた時代の発想の延長線上にある「未来は正しい」という考えだと思う。
それがVガンダム以降変化し、ターンAではニュータイプは自然に帰ることによって発生するという考えに完全に変わる。
つまり、科学技術の発展だけでは僕らは幸せになれないという、オーガニックとかナチュラルとかロハス、はたまた断捨離(だんしゃり)みたいな今っぽい発想に変わっている。
私は、富野さんのこの発想はターンAでガンダム的には一応の決着を見ていると思っていた。
それでもGレコを作る、しかも全話自分で脚本を書くというのだから、よっぽど何かを伝えたいのだと思うし、それをガンダムでやるというのは、よっぽどの必要性があるからだと感じている。
「富野がまたガンダム作るってよ!」と言われれば、多くの人が観るに決まっているからね。
さて、それがどのようにニュータイプ発生論に繋がる部分なのかは今は分らないが、ガンダムである以上「人の革新」に(多少の)希望が持てる内容であって欲しいとは思う。
(そういうカタルシスが無いと長年言われてきたZは、新訳で生まれ変わって、やっとガンダムらしくなれたしね)
またガンダムというのは、ガンダムという力を手に入れた少年の呪縛とそれからの解放のお話だとも言えるので、今回のGがどういった「呪い」を持ってくるのかも見物。
さて、こういったテーマにどれ程関係があるかは分らないが、1~2話で気になったポイントがある。
それがミノフスキー粒子の扱いが、ファーストガンダム並に丁寧に描かれていること。
ご存知のとおり、ガンダム世界において重要なアイテムであり、この粒子が撒かれるとレーダーや無線通信が出来なくなる。
これが有視界戦闘の必要性を生み、MS戦闘の有用性を高めているという設定。
注目したいのはミノフスキー粒子が撒かれて(戦闘濃度散布されて)、無線が使えなくなるという表現が1、2話共にある。
ファーストガンダム放映当時は、個人が免許無しで使える無線通信機はトランシーバー位のものだったが、現在の我々には携帯電話という文明の力があり、スマホの登場以降、その個人通信端末の重要性はあらゆるコミュニケーションにおいて高まる一方だ。
しかし、このスマホ、当たり前だがミノフスキー粒子を撒かれたら全く使えない。
つまり、我々が現在頼りにしている個人通信端末を使ってのコミュニケーションは一切行えなくなるということだ。
ここに、何か富野監督のメッセージがあるのではないかと私は読んでいる。
それがメインとなるメッセージではないとは思うが、ついでの説教としては、そのくらいのことは言ってくるのではないかな、富野監督なら。
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Gのレコンギスタ 1話・2話 感想【(小4・息子)難しくて意味がわからん】 [感想・レビュー]
すでにdアニメの先行配信で3話まで視聴しているのですが、やはりここは地上波放送に合わせて感想を書くのが礼儀かと。
地上波放送をHDDに収め、週末に小4の息子と一緒に視聴。
こちらは一度観ているので、Gレコを観る息子の様子を見ていたのですが、ドンドン表情が濁ってくるのがわかりますw
2話まで観終わったところで感想を聞くと、
「分らない言葉が多すぎるし、ベルリたちの会話変だし意味が分らない。MSもカッコ悪い。」
「それと、何だか古臭い感じがする。今のアニメじゃないみたい。やっぱりビルドファイターズ・トライが僕らのガンダム。大人のガンダムは難しい。」
う~ん、素直すぎる意見だ!
そうだよね、AGEが最初のガンダムで、ついこの間までビルドファイターズを観ていて、その続編を心待ちにしている息子にとって、富野作品は異物で難解でしかないと思うよ。
でも富野監督は「子供に観せるべきもの」として作るみたいなことをいっていたから、とりあえず一緒に観ような、解説するから。
とはいえ、クンタラの説明は少しマイルドにしておいたけど。あの世界の人種差別だって。
これも説明しづらいぞ!
我々40前後の世代は、小学校上がる前から富野作品に触れてきて、ザンボット~ZZまで(途中G7とダイオージャを挟むものの)毎年のように「新しい富野ワールド」を楽しく観てきた。もちろんその時に全てが分ったわけではないけど、それでも楽しかった。
ガンダムのヒット以降、徐々に富野語も理解できるようになり、ザブングルの頃には完全に「娯楽」としても楽しめる余裕が出来ていた。
特に小4の時、ダンバインの1話を観た時その日の衝撃は今でも忘れられないなぁ。
『ガンダムが教えてくれたこと』なんて本も出ていて、「大切なことは全てガンダムが教えてくれた」なんて人もいるのだが、私の場合、ガンダムがというよりも「富野監督が」と言ったほうが適切だと思っている。
親以外に大事なことを教えてくれた大人の一人に、富野由悠季は確実にカウントされる。
富野さんは作品の中にその時の考え方を反映させる傾向があるので、その変遷を見ていくだけでも結構面白いし、考えさせられる。
特にガンダムにおいてのニュータイプ発生論は時代によってかなり変化をしている。
ニュータイプそのものは「分かり合える人々」のことで、この定義自体に変化はないのだが、ニュータイプがどのように発生・誕生するのかといった部分が作品ごとに異なる。
ファーストガンダム~F91までは、宇宙開拓によって人間が地球の外に出ることで、脳の眠っている部分が活性化してニュータイプになるという発想だった。
これは科学技術の発展が人間を幸せにすると思われていた時代の発想の延長線上にある「未来は正しい」という考えだと思う。
それがVガンダム以降変化し、ターンAではニュータイプは自然に帰ることによって発生するという考えに完全に変わる。
つまり、科学技術の発展だけでは僕らは幸せになれないという、オーガニックとかナチュラルとかロハス、はたまた断捨離(だんしゃり)みたいな今っぽい発想に変わっている。
私は、富野さんのこの発想はターンAでガンダム的には一応の決着を見ていると思っていた。
それでもGレコを作る、しかも全話自分で脚本を書くというのだから、よっぽど何かを伝えたいのだと思うし、それをガンダムでやるというのは、よっぽどの必要性があるからだと感じている。
「富野がまたガンダム作るってよ!」と言われれば、多くの人が観るに決まっているからね。
さて、それがどのようにニュータイプ発生論に繋がる部分なのかは今は分らないが、ガンダムである以上「人の革新」に(多少の)希望が持てる内容であって欲しいとは思う。
(そういうカタルシスが無いと長年言われてきたZは、新訳で生まれ変わって、やっとガンダムらしくなれたしね)
またガンダムというのは、ガンダムという力を手に入れた少年の呪縛とそれからの解放のお話だとも言えるので、今回のGがどういった「呪い」を持ってくるのかも見物。
さて、こういったテーマにどれ程関係があるかは分らないが、1~2話で気になったポイントがある。
それがミノフスキー粒子の扱いが、ファーストガンダム並に丁寧に描かれていること。
ご存知のとおり、ガンダム世界において重要なアイテムであり、この粒子が撒かれるとレーダーや無線通信が出来なくなる。
これが有視界戦闘の必要性を生み、MS戦闘の有用性を高めているという設定。
注目したいのはミノフスキー粒子が撒かれて(戦闘濃度散布されて)、無線が使えなくなるという表現が1、2話共にある。
ファーストガンダム放映当時は、個人が免許無しで使える無線通信機はトランシーバー位のものだったが、現在の我々には携帯電話という文明の力があり、スマホの登場以降、その個人通信端末の重要性はあらゆるコミュニケーションにおいて高まる一方だ。
しかし、このスマホ、当たり前だがミノフスキー粒子を撒かれたら全く使えない。
つまり、我々が現在頼りにしている個人通信端末を使ってのコミュニケーションは一切行えなくなるということだ。
ここに、何か富野監督のメッセージがあるのではないかと私は読んでいる。
それがメインとなるメッセージではないとは思うが、ついでの説教としては、そのくらいのことは言ってくるのではないかな、富野監督なら。
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