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劇場版サイコパス、また観てきました。(3回目)
最初に観た時から思っていたのですが、何となく今回の狡噛に物足りなさを個人的に感じていました。
もちろん、3度も鑑賞しているわけですから、この映画が面白いというのは間違いないのですが、こと狡噛に対してのこの感想を払拭すべく、自分なりに考えてみたい。
そう思って今回は狡噛に集中して鑑賞してきました。
まず、自分の中で整理したのは、どうしてこんなにも狡噛慎也というキャラクターに惹かれるのかということ。
狡噛に関してはイロイロと思うことはあるのですが、その答えだけを簡単に言ってしまえば「新旧の刑事の魅力を持っているから」ですね。
「ダーティーハリー」以降のアウトローで暴力的な刑事の魅力と、「羊達の沈黙」以降のプロファイリングによる捜査を行う知的な刑事の魅力。その両方を兼ね備えるのが刑事としての狡噛の魅力でした。
高等教育過程でも成績トップを維持し、公安局にも歴代一位の考査結果で入局し監察官に。将来を嘱望されるエリートでありながら、部下の執行官・佐々山の死を機に執行官落ち。
それでも懸命に槙島を追う狡噛の姿は、知的さと獰猛さが入り混じる、人間味のあるヒーローとしての刑事のあり方を見せてくれていた気がします。
「ダーティーハリー」のハリー・キャラハンがそうであったように、狡噛もその正義を貫くが故に、法の下の正義から逸脱してしまうわけですが、常守朱との対比で描かれたテレビ版1期の結末を考えれば、ハリーのように狡噛が再び刑事として我々の前に登場することはもうないだろうとは分り切っています。
狡噛が真のヒーローではないことは分っていても、それでもその役割を担って欲しいという願望が、1期終了以降も自分の中にずっと残っていたわけで、それを劇場版で観られるのではないかと、どこか期待していました。
でもね、これって結局、セム達・民主化運動に参加していた人々が、狡噛に求めていたものと同じなんじゃないかな?
つまり私も無意識のうちに、狡噛に槙島のような「カリスマ性」を獲得して欲しいと思っていたんじゃないのか?
とはいえ、劇中で狡噛に掛けられた容疑のように「狡噛慎也は槙島聖護と同類の犯罪者に成り下がったのでは?」というふうに問われれば、狡噛はそんな人ではないと否定はできるんです。
これって不思議ですよね?
刑事ではなくなってしまった狡噛に、期待するものを付加して形作っていけば、ドンドン槙島に近づいていってしまう。
でもそれは求められる狡噛のスタイルではない。
結局、今の狡噛にヒーロー性を求めることは、狡噛で失してしまうことになりかねない。
そうなると、劇中での狡噛のあり方というのは、アレはアレで正解なのだろうなという気持ちになって、当初感じた物足りなさも少し和らいできたように感じます。
きっとこの狡噛に求められてしまうものには、作り手も気がついていたんだろうと思うんです。
だからこそのこの問いかけ、答えだったんだろうと。
また一方で、もっといい舞台が狡噛にはあるのではないかという、次への期待というのも芽生えてきて、やはり何とかしてもう一度狡噛を刑事にしてやれないものかと思ってしまうんですよね。
あぁ、だからか?
私が以前に劇場版があったらという「妄想シナリオ」を書いていたのですが、そのシナリオでは、狡噛に犯罪幇助の罪が掛かるというところは「劇場版サイコパス」と同じなのですが、その後狡噛が執行官に復帰できるように考えていたんですね。
あの「妄想シナリオ」では「槙島生存説」に基づく話を考えていたので、槙島VS狡噛にするには、狡噛が刑事であってくれないと都合が悪かったのですが、結局「刑事である狡噛」に魅力を感じていたってことなんでしょうね。
関連記事:2013年9月5日 「PSYCHO-PASS サイコパス 続編があるとしたら」
狡噛についてはもう少し書きたいことがありますので、以降は次回。
次回で考えようと思うのは「どうして狡噛は民主化運動に参加したのか?~狡噛の正義とは?~」です。
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劇場版サイコパス 感想【狡噛への物足りなさを自己分析】 [PSYCHO-PASS サイコパス]
最初に観た時から思っていたのですが、何となく今回の狡噛に物足りなさを個人的に感じていました。
もちろん、3度も鑑賞しているわけですから、この映画が面白いというのは間違いないのですが、こと狡噛に対してのこの感想を払拭すべく、自分なりに考えてみたい。
そう思って今回は狡噛に集中して鑑賞してきました。
まず、自分の中で整理したのは、どうしてこんなにも狡噛慎也というキャラクターに惹かれるのかということ。
狡噛に関してはイロイロと思うことはあるのですが、その答えだけを簡単に言ってしまえば「新旧の刑事の魅力を持っているから」ですね。
「ダーティーハリー」以降のアウトローで暴力的な刑事の魅力と、「羊達の沈黙」以降のプロファイリングによる捜査を行う知的な刑事の魅力。その両方を兼ね備えるのが刑事としての狡噛の魅力でした。
高等教育過程でも成績トップを維持し、公安局にも歴代一位の考査結果で入局し監察官に。将来を嘱望されるエリートでありながら、部下の執行官・佐々山の死を機に執行官落ち。
それでも懸命に槙島を追う狡噛の姿は、知的さと獰猛さが入り混じる、人間味のあるヒーローとしての刑事のあり方を見せてくれていた気がします。
「ダーティーハリー」のハリー・キャラハンがそうであったように、狡噛もその正義を貫くが故に、法の下の正義から逸脱してしまうわけですが、常守朱との対比で描かれたテレビ版1期の結末を考えれば、ハリーのように狡噛が再び刑事として我々の前に登場することはもうないだろうとは分り切っています。
狡噛が真のヒーローではないことは分っていても、それでもその役割を担って欲しいという願望が、1期終了以降も自分の中にずっと残っていたわけで、それを劇場版で観られるのではないかと、どこか期待していました。
でもね、これって結局、セム達・民主化運動に参加していた人々が、狡噛に求めていたものと同じなんじゃないかな?
つまり私も無意識のうちに、狡噛に槙島のような「カリスマ性」を獲得して欲しいと思っていたんじゃないのか?
とはいえ、劇中で狡噛に掛けられた容疑のように「狡噛慎也は槙島聖護と同類の犯罪者に成り下がったのでは?」というふうに問われれば、狡噛はそんな人ではないと否定はできるんです。
これって不思議ですよね?
刑事ではなくなってしまった狡噛に、期待するものを付加して形作っていけば、ドンドン槙島に近づいていってしまう。
でもそれは求められる狡噛のスタイルではない。
結局、今の狡噛にヒーロー性を求めることは、狡噛で失してしまうことになりかねない。
そうなると、劇中での狡噛のあり方というのは、アレはアレで正解なのだろうなという気持ちになって、当初感じた物足りなさも少し和らいできたように感じます。
きっとこの狡噛に求められてしまうものには、作り手も気がついていたんだろうと思うんです。
だからこそのこの問いかけ、答えだったんだろうと。
また一方で、もっといい舞台が狡噛にはあるのではないかという、次への期待というのも芽生えてきて、やはり何とかしてもう一度狡噛を刑事にしてやれないものかと思ってしまうんですよね。
あぁ、だからか?
私が以前に劇場版があったらという「妄想シナリオ」を書いていたのですが、そのシナリオでは、狡噛に犯罪幇助の罪が掛かるというところは「劇場版サイコパス」と同じなのですが、その後狡噛が執行官に復帰できるように考えていたんですね。
あの「妄想シナリオ」では「槙島生存説」に基づく話を考えていたので、槙島VS狡噛にするには、狡噛が刑事であってくれないと都合が悪かったのですが、結局「刑事である狡噛」に魅力を感じていたってことなんでしょうね。
関連記事:2013年9月5日 「PSYCHO-PASS サイコパス 続編があるとしたら」
狡噛についてはもう少し書きたいことがありますので、以降は次回。
次回で考えようと思うのは「どうして狡噛は民主化運動に参加したのか?~狡噛の正義とは?~」です。
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