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劇場版サイコパス 感想【狡噛への物足りなさを自己分析】 [PSYCHO-PASS サイコパス]

劇場版サイコパス、また観てきました。(3回目)

最初に観た時から思っていたのですが、何となく今回の狡噛に物足りなさを個人的に感じていました。

もちろん、3度も鑑賞しているわけですから、この映画が面白いというのは間違いないのですが、こと狡噛に対してのこの感想を払拭すべく、自分なりに考えてみたい。
そう思って今回は狡噛に集中して鑑賞してきました。

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まず、自分の中で整理したのは、どうしてこんなにも狡噛慎也というキャラクターに惹かれるのかということ。

狡噛に関してはイロイロと思うことはあるのですが、その答えだけを簡単に言ってしまえば「新旧の刑事の魅力を持っているから」ですね。


「ダーティーハリー」以降のアウトローで暴力的な刑事の魅力と、「羊達の沈黙」以降のプロファイリングによる捜査を行う知的な刑事の魅力。その両方を兼ね備えるのが刑事としての狡噛の魅力でした。

高等教育過程でも成績トップを維持し、公安局にも歴代一位の考査結果で入局し監察官に。将来を嘱望されるエリートでありながら、部下の執行官・佐々山の死を機に執行官落ち。

それでも懸命に槙島を追う狡噛の姿は、知的さと獰猛さが入り混じる、人間味のあるヒーローとしての刑事のあり方を見せてくれていた気がします。


「ダーティーハリー」のハリー・キャラハンがそうであったように、狡噛もその正義を貫くが故に、法の下の正義から逸脱してしまうわけですが、常守朱との対比で描かれたテレビ版1期の結末を考えれば、ハリーのように狡噛が再び刑事として我々の前に登場することはもうないだろうとは分り切っています。

狡噛が真のヒーローではないことは分っていても、それでもその役割を担って欲しいという願望が、1期終了以降も自分の中にずっと残っていたわけで、それを劇場版で観られるのではないかと、どこか期待していました。



でもね、これって結局、セム達・民主化運動に参加していた人々が、狡噛に求めていたものと同じなんじゃないかな?
つまり私も無意識のうちに、狡噛に槙島のような「カリスマ性」を獲得して欲しいと思っていたんじゃないのか?


とはいえ、劇中で狡噛に掛けられた容疑のように「狡噛慎也は槙島聖護と同類の犯罪者に成り下がったのでは?」というふうに問われれば、狡噛はそんな人ではないと否定はできるんです。

これって不思議ですよね?

刑事ではなくなってしまった狡噛に、期待するものを付加して形作っていけば、ドンドン槙島に近づいていってしまう。
でもそれは求められる狡噛のスタイルではない。

結局、今の狡噛にヒーロー性を求めることは、狡噛で失してしまうことになりかねない。


そうなると、劇中での狡噛のあり方というのは、アレはアレで正解なのだろうなという気持ちになって、当初感じた物足りなさも少し和らいできたように感じます。

きっとこの狡噛に求められてしまうものには、作り手も気がついていたんだろうと思うんです。
だからこそのこの問いかけ、答えだったんだろうと。


また一方で、もっといい舞台が狡噛にはあるのではないかという、次への期待というのも芽生えてきて、やはり何とかしてもう一度狡噛を刑事にしてやれないものかと思ってしまうんですよね。



あぁ、だからか?

私が以前に劇場版があったらという「妄想シナリオ」を書いていたのですが、そのシナリオでは、狡噛に犯罪幇助の罪が掛かるというところは「劇場版サイコパス」と同じなのですが、その後狡噛が執行官に復帰できるように考えていたんですね。

あの「妄想シナリオ」では「槙島生存説」に基づく話を考えていたので、槙島VS狡噛にするには、狡噛が刑事であってくれないと都合が悪かったのですが、結局「刑事である狡噛」に魅力を感じていたってことなんでしょうね。

関連記事:2013年9月5日 「PSYCHO-PASS サイコパス 続編があるとしたら」




狡噛についてはもう少し書きたいことがありますので、以降は次回。
次回で考えようと思うのは「どうして狡噛は民主化運動に参加したのか?~狡噛の正義とは?~」です。


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『PSYCHO-PASS ASYLUM 2』 感想・紹介 [PSYCHO-PASS サイコパス]

『PSYCHO-PASS ASYLUM 2』 (ハヤカワ文庫JA)、やっと読み終わりましたw。



正月休みに読もうと思っていたのですが、最近老眼の進行が進み、紙の本を読むのが辛い・・・・・・。
極度の近視の私は、裸眼であれば近くは見易いのだが、足元さえ見えなくなってしまうので、ちょっとした空き時間に読書というのが億劫になってしまってきているんです。

最低でも劇場版公開までにはと思っていたのですがこの様です。
観念して遠近両用メガネを只今製作中ですwwww。

そういえば、虚淵さんも「老眼が~」と一時期ツイッターで何度かつぶやいていたなぁ。
同年代、辛いものがありますね。



さて、まずは簡単に本書の紹介を。

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『PSYCHO-PASS ASYLUM 2』は、そのタイトルどおりに、先に発売されている 『PSYCHO-PASS ASYLUM 1』の続編となるわけですが、上下巻というわけではなく、それぞれ独立したスピンオフ小説として『ASYLUM 1』では「チェ・グソン 編 と 縢秀星 編」、『ASYLUM 2』では「六合塚弥生&唐之杜志恩 編 と 宜野座伸元 編」が掲載されています。

『PSYCHO-PASS ASYLUM 1』の感想はこちら



そして感想の第一声。
今回もめちゃくちゃ面白かった!
劇場版でひと段落着いた感じになっていますが、まだまだサイコパスの世界は続くと確信させてくれます。

それでは、それぞれの話についてもう少し詳しく、ネタバレのないように感想を。



前半の「六合塚弥生&唐之杜志恩 編」となる『About a Girl』は、SFマガジン2014年11、12月号に前後編で連載されたものから、かなりの改訂が施されており、連載時よりもより表現豊かな作品に仕上がっていました。

連載で読んでいたがために、なかなか本書を読む気になれなかった部分もあったのだが、それは著者に対して失礼だったと反省。

時系列では、アニメ1期と2期の間にあたる時期の事件であり、雛河&東金はまだ配属されていない。
一係は霜月美佳を加えた、常守朱、執行官となった宜野座伸元、そして六合塚弥生の4名という構成だ。

「六合塚弥生&唐之杜志恩 編」ではあるが、実質的な主人公は六合塚弥生。

シリーズを通して、一歩引いたキャラクターとして描かれているような印象を受ける彼女だが、一係メンバーの中では唯一、アニメ本編にてスピンオフが描かれたキャラクターでもある。

それが1期の第12話『Devil's Crossroad』であり、元シビュラ公認芸術家であった彼女が、いかにして執行官になったかが描かれていた。
六合塚の憧れの対象であり、また彼女が色相を濁らせてしまうきっかけにもなった非公認芸術家・滝崎リナ。
公安局からの執行官登用の誘いを受けている最中、反社会活動に参加していたリナを目の前で取り逃がしてしまったことが、六合塚が執行官への就任を決意させた。

放送当時は唐突に挿入されたこのスピンオフに驚いたものだが、この第12話がなければ、こうして数多くのサイコパス・スピンオフ作品が生まれなかったのも事実であろう。

そして『About a Girl』は、このアニメ1期の第12話『Devil's Crossroad』の続編となる物語。


河川敷で一人の遺体と意識不明の少女が発見されたことに端を発する事件は、捜査が進むにつれ徐々に不気味な色合いを濃くしていく。
そして最終的には、思わぬ場所での息もつかせぬアクション物へと展開!

ストーリーとキャラクターの心理描写の緻密さはもちろん素晴らしいのだが、エンターテイメント性の高い要素も含んでおり、さぞかし映画にしたら面白いと思うのだが、この一連の作品の特徴でもある「極端に振り切った犯罪者共の奇行」が今回も健在で、これは映像化は無理だ。
「チェ・グソン 編」ほどの残虐性はないにしても、この作品も相当なものである。

ドミネーターで人が四散するから残酷というビジュアル面ではなく、人間の暗部を具現化したような行動としての残虐性は、文字を追っているのに映像として迫ってくる。
正直、読み違えたのかと反復し、それが間違いでないと気がつくと、途端に胃液が逆流したかのような酸味を口の中に感じる瞬間が何度もあった。

ただ、こういった表現ができるのも小説という媒体のいいところで、その文字の意味するところから、どういったイメージを頭の中で映像化するのかは読み手次第。
感じた残虐性は、自分自身が内包しているものなのかも知れない。

そういったメディアだからこそ出来るギリギリな表現は、サイコパスの世界の可能性をも感じさせてくれる。



そしてもう一篇となる「宜野座伸元 編」『別離』。
これは本書のための書き下ろしだ。

「六合塚弥生&唐之杜志恩 編」『About a Girl』の半分ほどの長さの短編ではあるが、こちらも魅力的なスピンオフ作品として仕上がっている。

宜野座がまだ監視官であり、アニメ1期よりも前の物語だ。
時系列で並べると、現在コミックガーデンで連載されている『監視官 狡噛慎也』と『サイコパス0』つまり標本事件発生までの間に起きたとある事件を舞台としている。

『監視官 狡噛慎也』で追っている人工臓器にまつわる事件が解決した後、公安刑事課が再編成され、三係であった狡噛と征陸のとっつぁんは、宜野座と佐々山のいる一係に転属になる。
佐々山が健在であるので、当然ながら狡噛はまだ監視官。

また、六合塚が登場していないことを考えると、アニメ1期の第12話『Devil's Crossroad』よりも前であろうと思われる。
一係には内藤僚一執行官もいるはずなのだが、今回は登場の機会は与えられていない。というか存在が忘れ去られているのかもしれない。


この『別離』では素の宜野座が良く描かれており、監視官時代の虚勢から来る堅物っぷりの影で、彼がどんな生活を送っていたのかを垣間見ることも出来る。

アニメ2期で、宜野座の自室に犬が居たことを覚えている人も多いと思うが、1期の時から「宜野座はダイムという犬を飼っており、ドッグセラピスト(アニマルセラピスト)の資格を有している」という設定があった。

この『別離』では、そういった宜野座の裏設定部分がふんだんに活かされており、彼の生い立ちやパーソナリティーを掘り下げ、友人・狡噛と実父・征陸との関係もより細かく描写することに成功している。

当然、とある事件を追っていく中での話ではあるのだが、こういった宜野座のキャラクター描写と事件の真相に辿り着くプロセスが巧くシンクロしており、何よりも正義感溢れるかっこいい宜野座が活躍してくれるのだから、ギノ好きにはたまらない話だろう。

多分、著者自身、宜野座に相当の思い入れがあるのだろう。


正直、「何で劇場版公開前に読んでおかなかったのだろう」と後悔したのは『別離』の方で、これを読むと読まないとでは、狡噛と宜野座の再会への想いが、かなり変わってくるであろうと思う。
もちろん、直接リンクしているわけではないのだが、より解釈の幅を広げてくれる材料になるという意味でね。


事件そのものについては言及を避けます。
『別離』とは誰との別れかを書いてしまうと面白味がないですから。

ただ、今回の事件もビックリ展開。そんなことあるの?って感じの驚くべき真相が待っています。
それが宜野座でないと、その真相にはたどり着けなかったであろうというのが、この作品の最大の魅力でしょう。






『PSYCHO-PASS ASYLUM 1』、『PSYCHO-PASS ASYLUM 2』と読んできて、すっかり著者・吉上亮さんのファンになってしまった。
自分よりも一回り以上年下の若手作家ではあるが、情景描写やキャラクターの掘り下げには目を見張るものがある。

アニメ2期『サイコパス2』のシリーズ構成を担当された冲方さんは、世界設定から新たな着眼点を見出してストーリーを構築し、作品世界を膨張させていくのが巧いと『攻殻機動隊ARISE』を観ていても思ったが、吉上さんの場合は、キャラクター設定やパーソナリティーを理解し、このキャラクターを活かすにはどういう境遇に置いたらいいかを考えてストーリーを構築しているように感じた。

それはスピンオフという作品の立場上、大きく舞台装置を動かせない縛りから来るのかもしれないが、それでも見所のある物語を紡ぎ出せるというのは、彼自身がそういった物語の構築パターンを技術的に有しているということだろうし、もしかしたらアニメ脚本って向いているんじゃないかと思っている。



彼の次回作は若き日の征陸を描いた『PSYCHO-PASS GENESIS』で、昨年末発売の予告編がSFマガジン2月号に掲載されていた。
これもまた期待できそうな滑り出しで、骨太な男同士の戦いが描かれそうな予感。

本年からSFマガジンが隔月刊行になってしまったので、続きが気になって仕方がないのだが、2月下旬頃には単行本化されるようなので、そちらも楽しみに待ちたいと思う。


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劇場版サイコパス 感想 2-3【時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かった?】 [PSYCHO-PASS サイコパス]

劇場版PSYCHO-PASS サイコパス、鑑賞(2回目)の感想のラストです。

「作品内の時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かったんじゃない?」の三つの理由。
最後となる三つ目の理由は、『1』&『劇場版』と『2』で扱っているテーマの違いです。


劇場版の最後の最後に「世界は新たな進化を」みたいな言葉(正確にはまた忘れてしまった)がテロップで出るのですが、確かにシビュラが国外に進出するというのは横軸でのエリア的な広がりはあるのですが、シビュラそのものの変革という縦軸の深度でいうと『2』のほうがよっぽどの進化なんですよね。


劇場版での朱ちゃんは、最終的にはシビュラシステムによって日本と同じような秩序ある世界を構築するとしても、結果のためには手段を選ばないシビュラに対し、朱ちゃんはそのプロセスにおいても健全な正当性のある段階を踏むべきだと主張し、「歴史には敬意を払いなさい」とその考えを改めさせます。

でもコレって海外進出においての運用方法の更新(取扱説明書の追記みたいなもの)であって、シビュラそのもののシステムアップデートとはちょっと違う。


また、これは『1』において槙島に私的制裁をしようとする狡噛に対し、旧時代の裁判制度を復活させてでも法的な手順を踏んで裁くべきだと主張したのと同じなんです。

つまり、スケーリングこそ異なっているものの、朱ちゃんの「プロセスも結果も大事」という立場に変化はないんですよね。

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「法が人を守るんじゃない。人が法を守るんだ。」「法を守ろうとした過去の人々の思いを無駄にしない」という考えのもと、「守るに値する法とは何か?」これを民衆に問うべきだというのが劇場版のお話ですが、これって「貴方は覚悟できますか?」ってことでもあって、「自分で考え・判断・選択できる人であれ」という厳しい意見でもあるのですが、それが正しい(ベストだ)と一貫して言い切れてしまうのが常守朱でもあるわけです。

そういった意味でも、『1』と『劇場版』は綺麗に地続きで、この「正義とは、法とは何ぞ」という問題は一括りで語った方がわかり易い。


逆に『2』で扱った「集合的サイコ=パス」や「依存」というのは、正義・法の概念というより社会構造の問題で、シビュラにとってはシステムバージョンアップに相当する大きな問題。
加えて、リアルな問題に置換し易いだけあって、あまりにもエグいテーマなんですよね。

前者は「個人としては正しい者の集団であったとしても、その集団が正しくない場合、その責任を個人にどう帰結させるか」という問題の提示でもあって、物語上ではシビュラ側の問題として描かれていたけれど、最終的には民衆側にブーメランのように返ってくる。

後者は、「集合的サイコ=パス」の認定によって返ってきたブーメランを受け止める民衆の責任や覚悟とは対極にある状態なのだけど、これは最近、SNS批判で良く聞かれる「自己承認欲求」に対しての風刺なんじゃないかな?

そして前者を今起きている紛争や経済、環境などの世界的規模の問題、後者を我々の日常として捉えた場合、如何に我々が大局に対して無関心なのかということを思い知らされる。
(まぁ、どこまでを自分の世界と考えるのかという基点の問題もあるんだけど)


『2』って、シナリオが『劇場版』よりも後に作られているということと、設定解釈からの物語作りが巧い冲方さんがシリーズ構成をしていることもあって、シビュラが直面する次の段階の問題を一足早く取り扱う結果となり、物語の世界をディープにえぐり過ぎちゃった気がします。

作品世界の厚みを増すという観点からは非常に魅力的な『2』なのですが、『1』と『劇場版』の間に挿入される事件としては、あまりにも振り幅が大きいし、そもそも『2』のシナリオ構成はかなりテクニカルですから難易度も高いんですよね。

朱ちゃん自身の「正義や法」についても見解の根本には変化がないのですが、その後に進むべき世界のあり方に対しての方向性を示したという意味では、『劇場版』よりも先を行ってしまっている。

だからこそ、『1』と『劇場版』は地続きで観た方が、視聴者的にもわかりやすいと思うんです。



以上、全3回に分けて書いてきた大きく三つの理由から、『劇場版』⇒『2』の時系列の方が、物語としては良かったんじゃないかと。

朱ちゃんがあんな豪華な部屋に引っ越した理由とか、軍事ドローンや強襲型ドミネーター、そして美佳のシビュラの犬としてのポジション取り、雛河と須郷のキャラクターとしての肉付けという意味合いでは『2』⇒『劇場版』という時系列での見所は確かにあるんですけどね。

『2』の最終話の感想として書いた、常守朱のスピンオフとして『2』を捉えた方がいいかもという意見も、こういった読み取りやすさを考慮した場合、『2』の問いは一旦保留にしておいた方がいいと思ったのです。
物語内でも、シビュラも「集合的サイコ=パス」を認識したけれど、すぐには全面的に運用できないと言っているしね。



『劇場版』はもう2回観に行こうと思っていますので、3回目の鑑賞では狡噛について思うことを書いてみたいと思います。


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劇場版サイコパス 感想 2-2【時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かった?】 [PSYCHO-PASS サイコパス]

劇場版PSYCHO-PASS サイコパス、鑑賞(2回目)の感想の続きです。

「作品内の時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かったんじゃない?」の三つの理由。
2回目の今回は、宜野座を取り上げたいと思います。


宜野座についてもキャラクター設定上、『劇場版』⇒『2』のほうがしっくり来る気がします。

『劇場版』の宜野座は「執行官になって大分変わったよ」というアイコンのために長髪になっているんだけど、デザイン面も『劇場版』のほうが先行していたそうなので、その意外性を保持するために『2』では変化量を小さくしていたんだろうと思われます。

でも、内面的には『2』のほうがよっぽど朱ちゃんに対しての気遣いが細やかで、「お母さん」みたいになっていましたよね。


これって、『劇場版』での朱ちゃんとの会話や、狡噛に対しての態度や彼との会話を見てしまうと、この後の宜野座の変化は『2』のアレになるよなぁって感じがしてしまう。

『1』のラストで宜野座は執行官になるわけだけど、その時の朱ちゃんとの会話の感じと『劇場版』での二人の会話の感じがあまりにも似ている。って、脚本が同じ虚淵&深見コンビだからだから当たり前なんだけど、その間に『2』のあの宜野座が挟まることに違和感もあるわけです。


『劇場版』で改めて思ったのは、宜野座って朱ちゃんに惚れてるよね?ってこと。
ジャスト恋心でないにしても、朱ちゃんを尊敬の対象として特別な感情は持っているように思う。

『1』で色相が濁ってきた時に、カウンセラーにも「彼女を見ていると希望が沸いてくる」なんて言ってたしね。
(その赤裸々発言の相手が、実は鹿矛囲だったという・・・・・・)

宜野座は執行官落ちしてしまったものの、それでもその程度で済んだのは、色相をクリアに保てる朱ちゃんの存在があってこそだと思うし、彼女にあって自分にないモノを考えた時に、宜野座は潜在犯としての社会的ポジションに納得できたんじゃないかな?

だからこそ彼は執行官として古巣に戻ってきたんだろうと思う。


そう仮定した時、朱ちゃんが狡噛に固執することにヤキモチというか憤りはあると思うんだ。
もちろん狡噛との男同士の友情も存在して感謝もしているんだけど、だからこそ狡噛を殴らずにはいられない。
「俺の大事な常守を悩ませやがって!」ってな感じでね。

あれが狡噛との友情だけの話なら、別に殴らなくてもいいもん。

宜野座は学生時代から主席の優等生である狡噛をリスペクトしていて、親友であるけども敵わない相手。
ましてや実父を殺した敵である槙島を狡噛が殺害してくれたのだから、逃亡したことに腹を立てているとは思えない。

もし男の友情として執行官という立場上、ギリギリの妥協点として殴って終わらせて見逃すなら「二度と俺の前に現れるな」って言うじゃない?
何で「俺達の前に」なの?ってことね。

そして、彼の中で狡噛への友人として・元同僚としての決着がついて、その上で朱ちゃんを見つめたとして、宜野座がグイグイ押していくタイプだとも思えない。
それ以前に潜在犯である執行官と監視官の恋なんて、シビュラのマッチングを受けるまでもなく不可能だと彼なら思ってしまうよね。
(実際には、青柳璃彩と神月凌吾のように恋愛関係にあった監視官と執行官がいたわけだから、シビュラによって否定されるということはない。)

そうなったら宜野座は職務上のバディに徹するよね。
「これが俺のナイトとしてのあり方だ」みたいな発想なんだけど、彼のことだから、行き過ぎて保護者みたいになってしまう気がする。

そして「オカン宜野座」爆誕!
このほうが自然な流れだと思う。


こうして出来上がった「オカン宜野座」は、朱ちゃんだけにその特性を発揮するわけでなく、彼のパーソナリティーに大きな変化をもたらす。

その結果、青柳との宜野座の自室での会話に繋がると考えると、あのある種の悟りを開いたかのような宜野座の態度は納得がいくわけです。

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宜野座、狡噛、青柳は同期でもあるわけなんで、親友・狡噛のことについては心の整理がついていたほうが、青柳に対しての宜野座の思い入れの強さを感じさせることが出来るし、だからこそ任務とはいえ青柳を執行してしまった須郷に対しての憤りや、その反作用から来る復帰し、酒々井を救った須郷への信頼みたいなも強まるでしょ?

だから宜野座のキャラクター性についても、『劇場版』⇒『2』の時系列の方が良かったのかなと。



次回、「作品内の時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かったんじゃない?」の理由三つ目は、『1』&『劇場版』と『2』の作品のテーマの違いについてです。


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劇場版サイコパス 感想 2-1【時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かった?】 [PSYCHO-PASS サイコパス]

劇場版PSYCHO-PASS サイコパス、2回目の鑑賞に行ってきました。

週代わりの鑑賞特典、今週は宜野座だったのですが、さすがに4日目ともなると品切れ。
捥りのお姉さんに聞いたところ、初日で配布終了だったそうです。

まずまずのリピーターが付いているということなのかな?

それよりも驚いたのが、劇場販売のグッズやパンフが完全に売り切れていました!
鑑賞の度にお土産の一つでもと思っていたのですが、そんな楽しみは残されていなかった・・・・・・。

ちみキャラの千社札があったのですが、使い道ないしなぁ。
あ、事業者名で作って備品に貼るって方法があったなぁ、今度やろうっと。


さて、2回目の劇場版鑑賞ということで、少し突っ込んだ感想を。
多少ネタバレも含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。




今回は、1回目の時から思っていた感想を書きたいと思います。
それは「作品内の時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かったんじゃない?」です。

そう思えてしまったのには大きく3つのかの理由があります。
一つ一つの理由を書いていくと長くなるので、全3回に分けて書きますね。



まず、一つ目の理由は朱ちゃんこと、常守朱に関してです。


『2』のラストシーンを思い出してください。

引越しの荷物が運び出された部屋で、朱ちゃんはそれまで御香として使っていた狡噛と同じ銘柄の煙草を消し、灰皿ごと置いて部屋を後にするんですよね。

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これって『2』のテーマの1つでもあった「依存」を朱ちゃんに当てはめた時、彼女は狡噛に依存するのを止めようとしている、つまり狡噛の影を追いかけ続けることから卒業しようとしていたんじゃないか? 煙草の火を消し、住み慣れた部屋を後にするというラストシーンはこれを暗示しているのではないか? そんな風に私は考えていたんです。

『2』を単独の作品と考えた場合には、これは非常にいいラストシーンですよね。

東金に祖母を殺害され、それでも鹿矛囲という強敵と対峙し、シビュラに「集合的サイコ=パス」を認めさせたという一連の騒動の後、彼女が、そして世界が次のステップに向かって強く一歩を踏み出すということですから、締めとしては申し分ない。


が、しかし、ここから2年後、密入国テロリストの捜査上に浮かんだ、シーアンにいるであろう狡噛の情報を聞かされた彼女は酷く動揺し、また煙草を御香代わりに使います。

良心的に解釈すれば、封印していた狡噛への気持ち(本広総監督は恋心ではないと言っている)が、この事件をきっかけに蘇ったと考えればいいのですが、それだとあの『2』のラストシーンが台無しになってしまう。そんな気もしてしまうのです。

おそらく、先行して製作されていた『劇場版』の「煙草を御香代わりに使う」という演出が『2』に逆輸入的に採用されたのでしょうが、そうだとするならばあの『2』のラストシーンには含みを持たせすぎたということにもなります。


ですが、もしこれが『劇場版』⇒『2』の時系列だったとすれば、狡噛との再会を果たし、日本国外の状況を知った後ならば、『2』での朱ちゃんの強さってすごく納得がいくんですね。

自分が為すべきことが明確になっているからこその迷いの無さ、そういう公安の刑事としての型が完全に出来上がっているというというか。
『劇場版』を観ていても、なんだか『2』の朱ちゃんのほうが大人に見えたしね。

それでも心が折れそうになった時に「妄想狡噛」が現れて、もう一度初心に帰る。
ここで立ち直らなければ、再び狡噛を捕まえにいけないじゃないかって。

そういう物語のほうが、『2』のように縦に掘り下げたような深い事件に向き合うには適していたのではないかと。


この「『劇場版』の設定を『2』に逆輸入的に採用」というのは、単なるディテール合わせなら問題ないけれど、キャラクターの心情とリンクしている部分では巧くマッチングできていない気がするんだよなぁ。


次回、「作品内の時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かったんじゃない?」の理由二つ目は、宜野座についてです。


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劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス 感想 [PSYCHO-PASS サイコパス]

急ぎの仕事を片付けねばならず、感想を書くのが遅れてしまいましたが、公開初日の一回目でサイコパス劇場版を鑑賞してきました。

ストーリーに関しては劇場で楽しんでいただくとして、それでもちょっとだけネタバレがありますのでご注意ください。

といっても、PV第2弾を見返してみると、結構ネタバレが多いんですけどね。
これから観る人はあまりあのPV観ない方がいいですよ。新鮮味が薄れますんで。



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いやぁ、めちゃくちゃ面白かったです。

2時間強という映画としては比較的長い部類に入りますが、全く飽きるということがありませんでした。
むしろ、もう終わりかよという感じ。

予想していた通りアクション主体の映画ではありますが、TV1期の中盤ノナタワーや終盤の狡噛と槙島の戦闘シーンみたいなものをもう少し観たかった私にとっては、狡噛のアクションシーンが大画面で観られるだけでも歓喜。

序盤の公安のガンアクション、軍事ドローンとの戦闘、朱ちゃんのアクションなど、15分に1回くらいは派手なアクションシーンが織り込まれ、どうしても難解な台詞が多くなってしまうサイコパスの物語の欠点を補い、映画としての見所をキッチリと演出しています。



一本の映画としてみても非常に良く出来ているとは思いますが、さすがにこれ単独で観ても世界観を把握できるとは思えないし、朱ちゃんと狡噛、狡噛と槙島、狡噛と宜野座、そして朱ちゃんとシビュラの関係という予備知識は最低限必要。

でないとキャラクター心情面の物語がサッパリ理解できないでしょうからね。


とはいえ、最低1期だけ観ておけば、物語自体は理解が可能。

メインのストーリーは槙島事件後に逃亡した狡噛の調査に朱ちゃんが単身海外に出掛ける話なので、1期のキャラクター相関図が理解できていれば問題ないでしょう。

2期で掘り下げられていた美佳、雛河、須郷は今回あまり活躍する機会がないので、1期の公安メンバーだけしか知らなくても大丈夫です。

1期までしか観ていない人や、難解な2期で少し気持ちが離れてしまった人にとっては、正当な続編として楽しんでもらえる作品だと思います。

何よりも狡噛のその後が気になっている人にとっては、劇場版のほうがニーズに応えていると思うしね。


逆に劇場版を観てから2期でもOKなくらい。

「2」はあれはあれで深いテーマの作品なのですが、物語の構成が複雑なうえ掘り下げ具合が深いので、劇場版のわかり易さに比べると、一般的なエンターテインメント性にやや乏しいんですよね。人を選ぶというか。

とはいえ、鹿矛囲が暴走させた軍事ドローンの量産型や強襲型ドミネーターも登場するので、2期をしっかり観ていた人にとっては嬉しい描写も多いですよ。





本当はもっとじっくり解釈などを書きたいところではありますが、何せまだ1回しか観ていないし(TV版の感想の際も最低3回は観ていた)、劇場パンフのスタッフインタビューで初見で気になっていた部分の解説が全てなされてしまっていて、何だかパクリの文章になってしまいそう。

あのパンフ、情報量ありすぎですよ。
当たり前ですが、鑑賞前には読まないように。

来場者特典もあるし、それよりももう少し突っ込んだ見方もしたくなったので、最低あと3回は観に行きたい。
そんな作品でした。

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相変わらず何を言っているのか聞き取れないのですが、OPでこの曲が流れた時に「始まった!」っていう高揚感が堪らなかった。
EDのEGOISTもイイぞ! この曲で〆るかっていう喜びがあった。


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PSYCHO-PASS サイコパス2 最終回 感想・考察③【サイコ=パスって何?】 [PSYCHO-PASS サイコパス]

いよいよ劇場版の公開が間近に迫ったサイコパス。

なんだかんだで年末は忙しく、もう少し書きたかった「2」の感想が中途半端になっているのですが、思ったことだけは書き留めておこうと思います。


「2」でより深く描かれていたことで、「あぁ、なるほど」と理解したのが、結局サイコ=パスって何だよってことですよね。


鹿矛囲が集合的サイコ=パスをシビュラに認めさせたことは、あの世界にとって大きな変革だったわけですが、そもそもサイコ=パスというものはこういうものですというのは具体的に示されているわけではない。

それでもそれを機軸として物語が成立しているわけですから、それ自体が我々に問われているテーマであるともいえるわけです。


私が現在のところ思っているシビュラがサイコ=パス診断で問いているのは、「その人物がどれだけ強く社会を信じているのか?」というスカラー(量)であり、その人物が信じる社会に及ぼす危険度が『犯罪係数』として測定されているのだろう、というものです。


この場合の「信じる社会」というのは、認識している自分の居場所や属する集団みたいなもので、必ずしもそれがシビュラの見守る社会である必要はないと考えられます。

単純にシビュラへの信頼度と危険度を測定できるのならば、免罪体質者は存在しないでしょうし、鹿矛囲が行った色相浄化の薬剤投与やセラピーもシビュラへの信頼度を高める方向には誘導していなかったですしね。


しかし、多くの人の場合は、自分の居場所や属する集団がシビュラ社会であることを認識しているので、認識した途端にそれがシビュラに対しての信頼度ということになります。

シビュラ社会では5歳児からサイコ=パスを行っているようですが、少なくともそれ以前の子供に診断を行ってもシビュラ的には意味は無いのでしょう。社会性が無いですからね、赤ん坊には。




では免罪体質者はどんな「信じる社会」を認識しているのかといえば、確固たる自意識の中で自己の存在を確立しているか、自分の周囲を社会として認識していないかのどちらかということになります。

藤間幸三郎と東金美紗子は一般社会で普通に働いていたわけですから、シビュラ社会を認識していないわけではないのですが、それ以上に自己が確立していて、本能的なポジションを置く場所として社会を全く必要としていなかったのでしょう。

ある意味、社会はツールであり拠り所ではないと、本能的に理解していたのかもしれません。
こう考えれば槙島の達観した態度も理解できそうです。

槙島と藤間は明らかに犯罪者なわけですが、『犯罪係数』測定の前提となる「信じる社会」がシビュラではないのですから、彼らの犯罪行為はシビュラ社会にとっての危険度を測ることはできない。そういうことになります。



次に、鹿矛囲はどのようにして色相を浄化していたかですが、これは簡単で、シビュラ・システムよりも鹿矛囲自身を信じさせる、つまり「依存させる」ことで色相をクリアに保たせていたと考えられます。

鹿矛囲はシビュラがスカラーしか測定していないことに気づいていたのでしょう。彼は即効性のあるオリジナル調合のストレスケア・サプリをエサに自分を信じ込ませ、己を心酔させることで「信じる社会」に成り代わったのでしょう。

つまりベクトルは全然シビュラ・システムを向いていないのだけど、鹿矛囲への依存度が高ければ、サイコ=パス診断上はクリアを保てるというカラクリです。

これは対象者がシビュラに怯えていれば怯えているほど効果があったはずです。
一発でシビュラよりも上位に立てますからね。


同じように、東金朔夜は母親に依存していた。
人工免罪体質者であったはずの幼少期の東金朔夜が一転して史上最高値の犯罪係数をたたき出したのも、依存していた母親に見捨てられそうになったことが原因だったわけで、それまでどんな残虐な動物虐待をしても色相が濁らなかったのは、その行為を依存している母親に認めてもらっていたからなのでしょう。

執行官になった東金朔夜が、闇落ちした監視官を執行していたのも、シビュラに取り込まれた母親に己を肯定してもらうために行っていた行為で、美紗子個人は認めていなくとも、シビュラの神託に従うことで、母親にも認めてもらえているという屈折した解釈でバランスを取っていたのでしょう。でなければ早々に彼自身が執行対象になっていたはずです。

もしかすると、遺伝子的な意味では東金朔夜は免罪体質者でもなんでもない、ただの人だったのかもしれません。単に、社会性を持たない子供として育てられ、実験的に美紗子に依存させられていただけなのかも?


そういったカラクリに気づいた雑賀先生は、常守朱に依存している自分に気がつき、自分から彼女の元を去ってしまったわけですね。

ホント、雑賀先生はカッコいいわ。



この「依存」というのは、シビュラに対する忠誠心に置き換えることも出来てしまうわけで、社会を形成しているはずの個人が、社会によって蹂躙されてしまっているという状況を作っており、手段と目的が反対になってしまっているわけです。

こういった統治の仕方が官僚側(シビュラ側)からしたら、最も管理しやすい民衆であるということもまた事実で、シビュラが意図しなくとも、民衆がこの逆転現象陥ってしまっている社会というのが、あの世界の気持ち悪さですよね。

その悪い意味で理想的な市民が霜月美佳なんだよね。




さて、これが朱ちゃんに当てはめるとどうかということが、「2」というか常守朱の物語だよね。

朱ちゃんはシビュラ社会を肯定しているけれども、必ずしもシビュラの判定が正しいとは思っていない。でも色相がクリアであるということは、朱ちゃんが信じている社会はシビュラの基準をとっくに超越しちゃってるんだよね。

この個人の正義が法を凌駕してしまっているというのが面白いところで、そりゃぁ、シビュラも朱ちゃんを取り込んでみようという見解を見せるのも無理はないというものです。





で、ふと思ったんだけど、劇場版の狡噛は、実はシビュラから見たら色相がクリアになっているんじゃないかと。

日本を出て外の世界で正義の基準を見つめ直した狡噛は、もうすでにシビュラ基準の「信じる社会」は持っていないだろうし、彼の信念に基づく世のあり方は、きっと十分なスカラーを有していると思う。

これは朱ちゃんの信じる社会とは、思考パターンも在り方も異なるんだろうけど、狡噛ならばそういった正義を持っている気がする。

しかし、彼が槙島に私的制裁を行ったという事実は変わらないわけで、それを刑事である常守朱が見逃すわけはない。

狡噛が常守朱により拘束された場合、シビュラがサイコ=パス判定に頼り切るのか、それとも集団的サイコ=パスに基づく危険人物として狡噛を見るのか、それとも旧時代の法廷制度によって裁こうとするのか、このあたりは見物だと思う。



まぁ、そもそも海外に出て行った場合、いくらシャンバラフロートがシビュラ・システムが運用されている特区といえども、日本のシビュラ・システムによるドミネーターでの執行は適応されないであろうから、狡噛を拘束しようとした場合、実銃でドンパチやることになっちゃうんだろうなぁ。

シャンバラフロートのシビュラの判定は日本のそれとは基準も異なるだろうから、そのギャップも気になるところです。

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サイコパスる冬 PSYCHO-FILM(常守朱) 感想 [PSYCHO-PASS サイコパス]

取引先の忘年会に招待され、久しぶりの上京。
忘年会は夕方からなのですが、せっかくなので「サイコパスる冬」を覗いてきました。

さすがにスマホ連動の「リアル謎解きゲーム」をやっている時間はなさそうなので、メインになるのはアクアシティお台場 メディアージュ 1Fのアトリウムでで体験できる「PSYCHO-FILM」。

141226-132058_R.JPG

ソニーの最新ヘッドマウントディスプレイを好きなアニメ作品で無料で試せるのですから嬉しいですよね。
学生は冬休みに入ったとはいえ、まだ平日でしたから長蛇の列になっているわけでもなく、すんなり観ることが出来ました。

今回上映されていたのは「サイコパス2」をダイジェストにし、それをシビュラ視点で常守朱を分析したような作品。禾生局長役の榊原良子さんの美声をヘッドフォン越しに堪能しつつ、大画面で振り返る「2」の世界は、ファンであれば観ておいて損はないでしょうね。

へッドマウントディスプレイ自体は3D対応のはずなのですが、残念ながら映像は3Dではありませんでした。

上映時間は多分10~15分程度ではなかったかと思うのですが、ヘッドマウントディスプレイのお試しとしては充分な長さと内容であったと思います。
正直、ヘッドマウントディスプレイ欲しくなってしまいました。

気がついたのですが、意外と装着角度がシビアなんですね。
HMDは無可動のアームで斜め下を向くように固定されており、検眼の機械みたいに頭を押し当てるように覗き込むのですが、固定されている高さと角度、それと椅子の高さの関係もあって、ベストポジションを見付けるのに時間を要しました。

175センチ程度の男性であれば、やや見上げるように若干下側から入っていくとポジションが取りやすいと思います。

音声もレベル補正されてしまうテレビ放送よりも遥かに良く、ヘッドフォンで聴くことでかなりの没入感があるので、BD購入までして観たい作品の鑑賞にはイイでしょうね。

普段は全然FPSのゲームは興味がないのですが、これならやってみたいなとも思いました。


HMDは実際はベルトで頭部にヘッドバンドで固定するものなのですが、ああいったデスクに固定できるアームがあれば便利だろうし、装着時の重量や痛みの問題も気にしなくて済むんだけどな~。


アクアシティお台場 メディアージュ 1Fはシネコンの入り口でもあり、当然劇場版サイコパスの関連のポスターやポップもあったのですが、そこで驚いた!

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雛河と須郷、お前ら劇場版のキャラだったんか!?


そりゃ、お前ら死なないわwww

そうなると彼らにとっては「2」が前日譚だったわけだ。
さて、劇場版ではどんな活躍をしてくれるのかなぁ???



ちなみに、サイコパスショップも覗いてきたのですが、サイコパスのキャラグッズにあまり興味がないのと、噂どおり若い女性ばっかり。

店内でグッズを見ながら、狡噛のカッコよさを熱っぽく語る10代と思しき女の子がいたんだけど、一緒にいた友達がちょっと引いていたのが印象的でした。


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PSYCHO-PASS サイコパス2 11話 感想・考察②【美紗子は免罪体質なのに裁かれたけど?】 [PSYCHO-PASS サイコパス]

無事に最終回を迎えたサイコパス2。

サイコパスという作品が舞台設定であるシビュラとどう向かい合うかという物語であるので、前提としてこの設定が理解できていないといけません。

ましてや続編の場合、既存の設定をどう解釈し、それとの整合性を保ちつつ新設定や出来事を理解するというのは、これは非常に面倒くさい作業です。

確かにサイコパス2は難解で、「1」を何度も観、小説版や設定書なども見てきた私でも一瞬「?」となってしまう設定解釈や新設定や物語の展開がありました。

ただ、私たちガンダム世代のオッサンは、宇宙世紀年表やMSの系譜の拡大というものにずっ~と付き合っていますので、既存の設定と新設定がうまく符合するように「良心的に解釈する」という技を身に付けています。

この技を使って、サイコパスの世界も良心的に解釈していこうと思います。

「2」は設定がガバガバだとか、設定捻じ曲げたとかイロイロと言われているようなのですが、自分としては「よく考えてるよな」と感心することが多いですよ。



今回は、「なぜ東金美紗子in禾生局長は、ドミネーターで裁かれてしまったのか?」です。
シビュラは免罪体質者の脳を集めて作られたシステムですから、当然東金美紗子も免罪体質者。

であるなら、ドミネーターが犯罪係数を測定できないはずなのですが?

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まずは既存の設定を見直してみました。

以下はアニメだと「1」の終盤、朱ちゃんがシビュラの正体を明かされ、そこでシビュラが語ったシビュラシステムの解説の小説版サイコパスの下巻からの抜粋です。



①『シビュラシステムがサイコ=パスを解析できない免罪体質者の発生は、不可避です。いかに緻密で堅牢なシステムを構築しようと、必ずそれを逸脱するイレギュラーは一定数で出現します。』

②『我々は、かつて個別の人格と肉体を備えていた頃は、いずれもシビュラシステムの管理を逸脱した免罪体質者でした。中には槙島聖護より遥かに残忍な行為を行った固体も多数、含まれています。』

③『ここにいる各々が、かつては人格に多くの問題を抱えていたのは事実です。だが全員の精神が統合され、調和することによって、個々の特性は均質化し、集合無意識の具現として普遍的価値基準を獲得するに至っています。』



まず①からすると、免罪体質者に関わらず、シビュラの管理を逸脱するものの出現を、シビュラ自身はいつも覚悟しているということになります。

「2」の場合、鹿矛囲の存在がこれにあたり、シビュラは彼の出現当初から、その扱いをどうしようかと考えていたはずです。


②は、シビュラの構成員は全て免罪体質者であると公言しているわけですから、当然、東金美紗子も間違いなくなく免罪体質者であったと確認できます。


最後の③では、集合体となったシビュラは、個々のパーソナリティーの問題点を克服し、社会的に真っ当な、集合体としての人格を獲得しているということになります。



では、シビュラの義体である禾生局長のボディに入っていた免罪体質者・東金美紗子は、どうしてドミネーターによって裁かれたのかという疑問を良心的に解釈すれば、2つの解釈の仕方が出来ます。


まず一つは、あの時ドミネーターが計測した犯罪係数は、東金美紗子個人の数値ではなく、シビュラという集合体の数値という考え方。

鹿矛囲の問いに対してシビュラが集合体のサイコ=パスを認めた結果、シビュラは自ら、集合体としての数値をたたき出したということですね。

しかしこの場合鹿矛囲の「これがお前の色か?東金美紗子。」という台詞とちょっと噛み合わないですよね。

またその直後に、シビュラそのものに対して鹿矛囲がその色を問うわけですから、集合体としてのシビュラの犯罪係数だとするのは、タイミング的にも早すぎる。

確かに、東金美紗子が構成から外れたシビュラの集合体としての犯罪係数は下がっているのですが、、ここは、あの数値が東金美紗子個人の数値であって欲しいわけです。

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そこで考えられるのが2つ目の考え方。

それは、シビュラに取り込まれた免罪体質者は、シビュラの自浄作用によって、個別の犯罪係数を読み取れるようになってしまった(与えられてしまった)という考えです。

集合的サイコ=パスを認めたことで、シビュラはその正当性を確保するため、己の犯罪係数を上昇させる要因を廃棄します。

その際、何を判断基準にしたのか?
その基準はそれまでのシビュラにはなかった、新しい価値基準のはずです。

個別では免罪体質でも、集合的サイコ=パスを構成している限り、その集合的犯罪係数の変動などに関与しているわけですから、集合的サイコ=パスを認めた瞬間に、構成員は個別のサイコ=パスを逆算的・相対的に獲得してしまう。

判断基準が明確でなければ、犯罪係数を上昇させる要因を廃棄することが出来ませんし、あのように綺麗に犯罪係数0には出来ませんからね。

コンテナに収まっている脳はコンテナ側で破棄していましたが、義体に収められている脳はドミネーターによる執行と同じ手順を踏んだ。

その結果はじき出された東金美紗子の犯罪係数があれだったというのは、少し良心的過ぎますかね?


ただ、この解釈ですと「シビュラが免罪体質者によって構成されている」、「個別の人格と肉体を備えている市民の免罪体質者はシビュラは裁けない」という既存設定には抵触しません。

しかし、シビュラの一員に取り込まれた免罪体質者は、集合的サイコ=パスの測定によって、集合体の中で裁かれることになるわけです。

確かにシビュラは「新たな認識と完全性」を獲得したことになりますね。

とはいえ欠員が多くでてしまったシビュラの処理能力では、この集合的サイコパスを広く運用できないようなので、すぐにあの社会が変革するというわけではないのでしょうが。

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PSYCHO-PASS サイコパス2 第11話(終)感想【おぉ、素直に着地するんだ!?】 [PSYCHO-PASS サイコパス]

PSYCHO-PASS サイコパス2 第11話(終)「WHAT COLOR?」の感想です。


いやぁ、意外にもシビュラは集合体のサイコ=パスを認めてしまいましたね。

前回の感想・考察で、シビュラはこれを認めないんじゃないかと思っていたのですが、それは最後に禾生局長(中身は東金美紗子ではない、誰か)が言っていたように、

「集合的サイコ=パス。遠くない将来集団が基準となる社会が訪れる。
 個人としてクリアでも集団としてクリアではない可能性。
 その疑心暗鬼が混乱を招き、かつてない魔女狩り社会が訪れ、
 その結果裁きは大量虐殺へと変貌を遂げるかもしれない。」

まさにこれなんですよ、そう考えていた理由は。


シビュラに依存している人々というのは、個人の良識レベルが我々のそれとは格段に低いというのは「1」のヘルメット暴動事件の発生初期を考えれば分ることで、そういった一般市民が集合的サイコ=パスを楽観的に受け入れられるはずはない。

少なくともそれを受け入れられるレベルまで一般市民が成長するまで、シビュラは集合的サイコ=パスを受け入れられないのではないかと思ったのです。


しかし、シビュラはそれを保留することなく受け入れたというのは、ある意味素直過ぎてびっくりしてしまいました。


でも、考えてみたら、シビュラは社会システムとしての完全性を常に求めているわけですから、処理できない案件からそうそう目を背けてはいられず、その変革の時があのタイミングだったというのなら、それはそれで悪くはないのかと。

また、シビュラ=敵みたいに印象付けていたのは、「2」の禾生局長がほぼほぼ東金美紗子だったというのが原因で、美紗子の個別の人格の問題だったとも考えられます。

集合体としてのシビュラは、「1」での説明によれば、普遍的価値基準を獲得しているはずですから、個人的感情で動くことはないし、より良い社会の構築のためのシステムですから、それに反する行為を自ら行うわけはないですからね。

すっかり東金美紗子に騙されてしまっていたかな?



最終回も情報量が多く、書きたいことは山ほどあるのですが、考察に関しては、一つ一つ行っていると、あまりにも長文になってしまうので、何回かに分けようと思います。

最終回を迎えましたから、次回放送を気にしなくてもいいですからね。




今回は単純に「2」どうだった? という感想に留めたいと思います。



「2」は、朱ちゃんをピンの主人公とした外伝的な物語という感じでした。
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「ブレない常守朱」を確認する物語というか。

その割には、正直、かなり難しい話になっちゃったよね?

サイコパスの世界をより深く描いているので、「1」からの設定の隙間を縫ったり、埋めたりするようなトリックが多く、よく言えば成熟、悪く言えば閉鎖的な印象のお話だったと思う。

これだけの内容を11話にまとめたというのは、確かに凄いことなのだが、どう考えても2クール分は作れるであろう情報量であるが故に、後半の鹿矛囲の動機が開示されるあたりから、説明的な台詞が多いわリに、説明不足になっている感もあった。

多分、途中で理解不能になってしまう人もいたんじゃないかな?


当初は槙島との差が分りにくかった鹿矛囲も、今となっては全く違う印象で彼を見ることが出来るし、彼が単なる復讐鬼ではなかったこともオチとしては良かったと思うので、もう少しゆっくりとドラマが展開できたらなお良かったのにね。

宜野座や六合塚は、もっと出番をあげられると思うし、それが出来たら群像劇としてのサイコパスの物語は、もっと厚みを増せたような気がするのだが、その時間はなかったですよね、あれは。

こういった部分が劇場版で少しでも盛り込まれていることに期待したいですね。



ところで、私の予想を裏切って、雛河生きていましたね。
劇場版に櫻井孝宏さんの名前が上がっていて、てっきり「回想の槙島聖護」だと思っていたのですが、もしかしたら雛河続投ってあるのかな? 
いや、雛河は「2」用のキャラのはずだ。

これも劇場版の楽しみということにしておきましょう。


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