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劇場版サイコパス 感想 2-3【時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かった?】 [PSYCHO-PASS サイコパス]

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劇場版PSYCHO-PASS サイコパス、鑑賞(2回目)の感想のラストです。

「作品内の時系列的には『劇場版』⇒『2』のほうが良かったんじゃない?」の三つの理由。
最後となる三つ目の理由は、『1』&『劇場版』と『2』で扱っているテーマの違いです。


劇場版の最後の最後に「世界は新たな進化を」みたいな言葉(正確にはまた忘れてしまった)がテロップで出るのですが、確かにシビュラが国外に進出するというのは横軸でのエリア的な広がりはあるのですが、シビュラそのものの変革という縦軸の深度でいうと『2』のほうがよっぽどの進化なんですよね。


劇場版での朱ちゃんは、最終的にはシビュラシステムによって日本と同じような秩序ある世界を構築するとしても、結果のためには手段を選ばないシビュラに対し、朱ちゃんはそのプロセスにおいても健全な正当性のある段階を踏むべきだと主張し、「歴史には敬意を払いなさい」とその考えを改めさせます。

でもコレって海外進出においての運用方法の更新(取扱説明書の追記みたいなもの)であって、シビュラそのもののシステムアップデートとはちょっと違う。


また、これは『1』において槙島に私的制裁をしようとする狡噛に対し、旧時代の裁判制度を復活させてでも法的な手順を踏んで裁くべきだと主張したのと同じなんです。

つまり、スケーリングこそ異なっているものの、朱ちゃんの「プロセスも結果も大事」という立場に変化はないんですよね。

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「法が人を守るんじゃない。人が法を守るんだ。」「法を守ろうとした過去の人々の思いを無駄にしない」という考えのもと、「守るに値する法とは何か?」これを民衆に問うべきだというのが劇場版のお話ですが、これって「貴方は覚悟できますか?」ってことでもあって、「自分で考え・判断・選択できる人であれ」という厳しい意見でもあるのですが、それが正しい(ベストだ)と一貫して言い切れてしまうのが常守朱でもあるわけです。

そういった意味でも、『1』と『劇場版』は綺麗に地続きで、この「正義とは、法とは何ぞ」という問題は一括りで語った方がわかり易い。


逆に『2』で扱った「集合的サイコ=パス」や「依存」というのは、正義・法の概念というより社会構造の問題で、シビュラにとってはシステムバージョンアップに相当する大きな問題。
加えて、リアルな問題に置換し易いだけあって、あまりにもエグいテーマなんですよね。

前者は「個人としては正しい者の集団であったとしても、その集団が正しくない場合、その責任を個人にどう帰結させるか」という問題の提示でもあって、物語上ではシビュラ側の問題として描かれていたけれど、最終的には民衆側にブーメランのように返ってくる。

後者は、「集合的サイコ=パス」の認定によって返ってきたブーメランを受け止める民衆の責任や覚悟とは対極にある状態なのだけど、これは最近、SNS批判で良く聞かれる「自己承認欲求」に対しての風刺なんじゃないかな?

そして前者を今起きている紛争や経済、環境などの世界的規模の問題、後者を我々の日常として捉えた場合、如何に我々が大局に対して無関心なのかということを思い知らされる。
(まぁ、どこまでを自分の世界と考えるのかという基点の問題もあるんだけど)


『2』って、シナリオが『劇場版』よりも後に作られているということと、設定解釈からの物語作りが巧い冲方さんがシリーズ構成をしていることもあって、シビュラが直面する次の段階の問題を一足早く取り扱う結果となり、物語の世界をディープにえぐり過ぎちゃった気がします。

作品世界の厚みを増すという観点からは非常に魅力的な『2』なのですが、『1』と『劇場版』の間に挿入される事件としては、あまりにも振り幅が大きいし、そもそも『2』のシナリオ構成はかなりテクニカルですから難易度も高いんですよね。

朱ちゃん自身の「正義や法」についても見解の根本には変化がないのですが、その後に進むべき世界のあり方に対しての方向性を示したという意味では、『劇場版』よりも先を行ってしまっている。

だからこそ、『1』と『劇場版』は地続きで観た方が、視聴者的にもわかりやすいと思うんです。



以上、全3回に分けて書いてきた大きく三つの理由から、『劇場版』⇒『2』の時系列の方が、物語としては良かったんじゃないかと。

朱ちゃんがあんな豪華な部屋に引っ越した理由とか、軍事ドローンや強襲型ドミネーター、そして美佳のシビュラの犬としてのポジション取り、雛河と須郷のキャラクターとしての肉付けという意味合いでは『2』⇒『劇場版』という時系列での見所は確かにあるんですけどね。

『2』の最終話の感想として書いた、常守朱のスピンオフとして『2』を捉えた方がいいかもという意見も、こういった読み取りやすさを考慮した場合、『2』の問いは一旦保留にしておいた方がいいと思ったのです。
物語内でも、シビュラも「集合的サイコ=パス」を認識したけれど、すぐには全面的に運用できないと言っているしね。



『劇場版』はもう2回観に行こうと思っていますので、3回目の鑑賞では狡噛について思うことを書いてみたいと思います。


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