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※ネタバレ注意 最終話を未視聴の方はご注意ください
PSYCHO-PASS(サイコパス)のラストシーン。
狡噛の潜伏先と思われる部屋(船の客室と思われる)のテーブルに置かれた一冊の本。
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の第一篇「スワン家の方へ」。
私は、この本が映し出された時に、かなり多くのことに合点がいきました。
「失われた時を求めて」の第一篇「スワン家の方へ」の冒頭、
主人公である「私」は、熱い紅茶に浸したマドレーヌを食べ、
その味をきっかけに過去を回想します。
"紅茶に浸したマドレーヌ"
そう、ノナタワー襲撃前に、槙島が食べていたアレです。
「この世界は何かのパロディーみたいだ」と思い出す……、あのシーンです。
これは単なるディテール合わせの部分だと思うのですが、
「失われた時を求めて」に結びつけるためのフラグでしょう。
そして、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」は、
その作品テーマに「恋愛」と「同性愛」があるのです。
社会から孤立した槙島が、その存在意義を主目的であったはずの犯罪行為ではなく、
狡噛とのやり取りにシフトしてしまったのは、ある種の恋愛感情ではなかったのだろうか。
我々が感じていた以上に、槙島は狡噛を求めていた。
かなり歪んだ、理解しがたい感情ではあるけれども。
「槙島はなんだかホモっぽい」
狡噛役の声優、 関智一さんが、ポロリとネットラジオで言っていた一言。
もちろん、槙島のそれは同性愛に分類されるものではないと思うし、
狡噛はそれを理解しつつも、彼を拒絶するように槙島を撃った。
状況が状況だけに、当然といえば当然の結末なのだが、
槙島の想いは、「僕の代わりはいるのか?」という問いに対する狡噛の返事で、
一応納得のいく答えが得られたのだろう。
槙島らしい、シニカルなユーモアなのかもしれない。
また、唐突に出てきた、六合塚と唐之杜の関係。
何の脈絡もないかと思いきや、ここにリンクが貼ってあったわけだ。
(見返すと序盤から何箇所も伏線が貼ってありましたが、そんなに重要視してなかった……)
さらに六合塚の「時代遅れの男なんて」的な発言。
「失われた時を求めて」からは少し離れてしまうが、
サイコパスの物語の男たちは、自分の正義を貫いた結果、不幸を迎えている。
狡噛、槙島、縢、征陸。
皆、自己内にある正義という意地を通した結果、社会からも否定され、3人は命まで失った。
男の意地は、決して最良の結果をも齎さなかった。
歴史においてもそうだ。
男の正義=意地が、社会を形作り、多くの戦いを生み、そして破壊していった。
歴史はこれを繰り返している。
シビュラの声が女性であること、
人類の新たな進化の可能性を示すかも知れない朱ちゃん、
新任の監視官も女性、しかも若い。
(この霜月美佳が、王陵璃華子事件の被害者友人だと、後日気づいた)
シビュラが向かおうとしている、完璧な世界は、
もしかすると女性の社会なのかもしれない。
具体的に何が違うのか、男の私には全く見当がつかないが、
男の意地とは真逆にあり、でも女の意地と称されるものではない、
そういった価値観を根幹にする世界なのだろう。
それは、シビュラが朱ちゃんを理想的な市民と位置づけている以上、
朱ちゃんと狡噛が話した、「シビュラシステムの必要の無い世界」であり、
意識的か無意識かは判らないが、シビュラ自体もその方向に向かおうとしている。
完璧な世界の達成の結果、シビュラは自らを否定することになってしまう。
これは"正義の味方の存在意義”と同じ矛盾を抱えている。
悪を殲滅した正義の味方は居場所を失う。
正義の味方が、正義の味方であるためには、悪が存在していないといけない。
正義の味方が、その意思によって立場を得ようとすれば、
必然的に悪を生み出さなくてはならない。
シビュラシステムがある限り、真の理想的社会の確立はありえない。
「いつか誰かが、ここの電源を切りにやってくる」
朱ちゃんが言ったこの台詞は、まさにその矛盾を突いている。
でも、シビュラ笑ってたからな~。本気とはとても思えないんだけどね。
大体、笑うってことは意思があるわけだし……。
システムが構築する、システムありきの世界は、やはりシステムのためのもの。
それは「守るに値しない法を作り、運用すること」に他ならない。
理想的社会の確立=シビュラ崩壊 これはいつ来るのだろうか?
それは、そんな遠い未来ではないと私は思っている。
話を「失われた時を求めて」に戻そう。
この小説、実はとても長い小説なのだ。
日本語訳にすると、400字詰原稿用紙で、1万枚以上の超大作だ。
潜伏した狡噛は、この小説をまだ読み始めたばかり。
こんな大作を読み始めるということは、狡噛には、生に対しての執着があるのだろう。
もし、社会を悲観していたとするならば、狡噛は槙島殺害後、自害していてもおかしくない。
朱ちゃんと話した、「シビュラシステムの必要の無い世界」。
狡噛はその社会の実現に希望を抱いているのだろうし、
それを"常守朱”に託したとも考えられないだろうか?
加えて、朱ちゃんが槙島のトラックに取り付いたときに、狡噛は、
「朱!」
と叫んだ。常守ではなくだ。
少なくとも狡噛は、朱ちゃんとの再開を期待している。
そして「シビュラシステムの必要の無い世界」
それを心待ちにしている。
それを、その目で確かめたいと思っている。
だから生に執着しなければならない。
その一歩が、「失われた時を求めて」なのではないか?
かなりこじ付けの部分もあるだろう。
私の勝手な思い込みも多いだろう。
でも、、「失われた時を求めて」が映った時、私はこんなことを考えてしまった。
サイコパス、もう一度全話見返してみよう。
そして、小説版において、このラストシーンにどういった注釈が付け加えられるのか?
それが楽しみだ。
⇒最終回 感想(その1)へ
⇒最終回 問題シーン考察(深読み編)へ
⇒最終回 感想(その3)&考察(槙島編)
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PSYCHO-PASS(サイコパス)最終回 感想(その2)&考察 ※ネタバレ注意 [PSYCHO-PASS サイコパス]
PSYCHO-PASS(サイコパス)のラストシーン。
狡噛の潜伏先と思われる部屋(船の客室と思われる)のテーブルに置かれた一冊の本。
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の第一篇「スワン家の方へ」。
私は、この本が映し出された時に、かなり多くのことに合点がいきました。
「失われた時を求めて」の第一篇「スワン家の方へ」の冒頭、
主人公である「私」は、熱い紅茶に浸したマドレーヌを食べ、
その味をきっかけに過去を回想します。
"紅茶に浸したマドレーヌ"
そう、ノナタワー襲撃前に、槙島が食べていたアレです。
「この世界は何かのパロディーみたいだ」と思い出す……、あのシーンです。
これは単なるディテール合わせの部分だと思うのですが、
「失われた時を求めて」に結びつけるためのフラグでしょう。
そして、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」は、
その作品テーマに「恋愛」と「同性愛」があるのです。
社会から孤立した槙島が、その存在意義を主目的であったはずの犯罪行為ではなく、
狡噛とのやり取りにシフトしてしまったのは、ある種の恋愛感情ではなかったのだろうか。
我々が感じていた以上に、槙島は狡噛を求めていた。
かなり歪んだ、理解しがたい感情ではあるけれども。
「槙島はなんだかホモっぽい」
狡噛役の声優、 関智一さんが、ポロリとネットラジオで言っていた一言。
もちろん、槙島のそれは同性愛に分類されるものではないと思うし、
狡噛はそれを理解しつつも、彼を拒絶するように槙島を撃った。
状況が状況だけに、当然といえば当然の結末なのだが、
槙島の想いは、「僕の代わりはいるのか?」という問いに対する狡噛の返事で、
一応納得のいく答えが得られたのだろう。
槙島らしい、シニカルなユーモアなのかもしれない。
また、唐突に出てきた、六合塚と唐之杜の関係。
何の脈絡もないかと思いきや、ここにリンクが貼ってあったわけだ。
(見返すと序盤から何箇所も伏線が貼ってありましたが、そんなに重要視してなかった……)
さらに六合塚の「時代遅れの男なんて」的な発言。
「失われた時を求めて」からは少し離れてしまうが、
サイコパスの物語の男たちは、自分の正義を貫いた結果、不幸を迎えている。
狡噛、槙島、縢、征陸。
皆、自己内にある正義という意地を通した結果、社会からも否定され、3人は命まで失った。
男の意地は、決して最良の結果をも齎さなかった。
歴史においてもそうだ。
男の正義=意地が、社会を形作り、多くの戦いを生み、そして破壊していった。
歴史はこれを繰り返している。
シビュラの声が女性であること、
人類の新たな進化の可能性を示すかも知れない朱ちゃん、
新任の監視官も女性、しかも若い。
(この霜月美佳が、王陵璃華子事件の被害者友人だと、後日気づいた)
シビュラが向かおうとしている、完璧な世界は、
もしかすると女性の社会なのかもしれない。
具体的に何が違うのか、男の私には全く見当がつかないが、
男の意地とは真逆にあり、でも女の意地と称されるものではない、
そういった価値観を根幹にする世界なのだろう。
それは、シビュラが朱ちゃんを理想的な市民と位置づけている以上、
朱ちゃんと狡噛が話した、「シビュラシステムの必要の無い世界」であり、
意識的か無意識かは判らないが、シビュラ自体もその方向に向かおうとしている。
完璧な世界の達成の結果、シビュラは自らを否定することになってしまう。
これは"正義の味方の存在意義”と同じ矛盾を抱えている。
悪を殲滅した正義の味方は居場所を失う。
正義の味方が、正義の味方であるためには、悪が存在していないといけない。
正義の味方が、その意思によって立場を得ようとすれば、
必然的に悪を生み出さなくてはならない。
シビュラシステムがある限り、真の理想的社会の確立はありえない。
「いつか誰かが、ここの電源を切りにやってくる」
朱ちゃんが言ったこの台詞は、まさにその矛盾を突いている。
でも、シビュラ笑ってたからな~。本気とはとても思えないんだけどね。
大体、笑うってことは意思があるわけだし……。
システムが構築する、システムありきの世界は、やはりシステムのためのもの。
それは「守るに値しない法を作り、運用すること」に他ならない。
理想的社会の確立=シビュラ崩壊 これはいつ来るのだろうか?
それは、そんな遠い未来ではないと私は思っている。
話を「失われた時を求めて」に戻そう。
この小説、実はとても長い小説なのだ。
日本語訳にすると、400字詰原稿用紙で、1万枚以上の超大作だ。
潜伏した狡噛は、この小説をまだ読み始めたばかり。
こんな大作を読み始めるということは、狡噛には、生に対しての執着があるのだろう。
もし、社会を悲観していたとするならば、狡噛は槙島殺害後、自害していてもおかしくない。
朱ちゃんと話した、「シビュラシステムの必要の無い世界」。
狡噛はその社会の実現に希望を抱いているのだろうし、
それを"常守朱”に託したとも考えられないだろうか?
加えて、朱ちゃんが槙島のトラックに取り付いたときに、狡噛は、
「朱!」
と叫んだ。常守ではなくだ。
少なくとも狡噛は、朱ちゃんとの再開を期待している。
そして「シビュラシステムの必要の無い世界」
それを心待ちにしている。
それを、その目で確かめたいと思っている。
だから生に執着しなければならない。
その一歩が、「失われた時を求めて」なのではないか?
かなりこじ付けの部分もあるだろう。
私の勝手な思い込みも多いだろう。
でも、、「失われた時を求めて」が映った時、私はこんなことを考えてしまった。
サイコパス、もう一度全話見返してみよう。
そして、小説版において、このラストシーンにどういった注釈が付け加えられるのか?
それが楽しみだ。
⇒最終回 感想(その1)へ
⇒最終回 問題シーン考察(深読み編)へ
⇒最終回 感想(その3)&考察(槙島編)
すげえ深いなと思いました。
意味がわからない描写が多かったので、
この文章を読めてとてもよかったです。
by NO NAME (2013-08-30 19:59)
>また、唐突に出てきた、六合塚と唐之杜の関係。
一応第2話において分析室でちょっと深いイチャコラしてたことを
示唆するシーンがあります。
また六合塚の過去回でも六合塚の分析力に唐之杜が「ほぉ」と
関心するシーンがあったりで馴れ初めも少し想像できる伏線が
張られてます
by NO NAME (2014-09-20 00:11)
そうですね、六合塚と唐之杜の関係は、1期放送当時、リアルタイムでは気がついていなかったんですよね~。
こういう細かい所作まで見ないと伏線見逃すぞっていうのが、サイコパスのいいところですよね。
by 日野 輝 (2014-10-03 07:56)
同性愛を描いたという考察にかなりうなづけます。そう思うと最終話で槙島が朱ちゃんに対して邪魔をするなと言ったシーンにもそのようなニュアンスが感じられます。
ところで、これは勝手な深読みかもしれませんが、槙島が麦畑のようなところで逃げまわり、それを追いかける狡噛を描いたシーンはJDサリンジャーの作品である『The Catcher in the Rye』の隠喩なのではないかと思いました。本作品に出てくるホールデンが槙島と重なってるように思えてきます。
製作者にそこまで意図があるかはわかりませんが、考える余地があるアニメはいいですね。
by ktnk (2015-01-13 00:23)
>>ktnk さん
コメントありがとうございます。
槙島=「ライ麦畑~」のホールデン、確かにそうですね。
ホールデンも社会から阻害されて苦しんでいましたからね。
槙島は狡噛との戦いを楽しみながらも、本心では分かり合えるかもしれない可能性に賭けていたのかもしれないですね。
狡噛は槙島にとってのフィービーにはなりえなかったですけどね。
槙島なら当然「ライ麦畑~」は読んでいるだろうし、あの穀倉地帯を逃げながら、自分とホールデンを重ねていたとしたら、あの槙島の最後の語りは納得がいきますね。
面白い! 非常に興味深いコメントです。
ありがとうございました!!
by 日野 輝 (2015-01-13 10:08)
朱!は自分も感動したな・・・
それだけに、劇場版で呼ばれなかったのは非常に残念
監視官は分かるけど、おまえはないだろ・・・
by お名前(必須) (2015-01-31 00:06)
>>監視官は分かるけど、おまえはないだろ・・・
私は狡噛なりの照れ隠しだと思ってますw。
「また捕まえに来い!」って「また会いたい」ってことでしょ?
(その後の胸キュン状態の朱ちゃんが可愛かった)
でも、総監督曰く、恋心ではないらしい・・・・・・。(ウソつけ!)
by 日野 輝 (2015-02-01 00:42)
更新から時間があいてしまっていますが、遅ればせながらコメント失礼します。
私も自分なりに考察をしてまいりましたが、日野様の考察で改めてサイコパスの深みを感じることができました。
声をあげたくなるぐらい共感できるものもありつつ、シビュラのむかう社会を男女の面から考えてられているところなど、とても興味深かったです。
また長々と申し訳ないのですが、槙島が朱ちゃんにいった「そうか、君は…」の続きについてです。昨年?に開催されたPHYCHO-FESという公式のイベントにて、関係すると考えられる朗読があったのですが、お耳に入っていますでしょうか…?
もし知っているいないあれば、また日野さまのご意見をお聞きしたいなあと思っておりますので、返信いただけると嬉しいです。
まだ日野様のブログすべては読めていないので、重複等ありましたらすみません…!
by あーす (2015-11-09 21:38)