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PSYCHO-PASS -サイコパス- 新編集版 感想 第5話 新シーン・新カット [PSYCHO-PASS サイコパス]

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「PSYCHO-PASS -サイコパス-」新編集版 第5話の感想です。


新編集版・第5話はオリジナル版でいうと、9話「楽園の果実」と10話「メトセラの遊戯」を一本にまとめたものになっています。
中盤最大の盛り上がりの部分へ向かっての序章部分ですね。


今回もオリジナル版各話のに新シーンが追加されていますが、前半は挿入のされ方が若干異なり、9話のアバンとAパートの間に来ています。
今まで同様、文字起こししてみました。


新シーン:オリジナル版 第9話 Aパート冒頭部分に挿入
雑賀の公安局での講義 文字起こし(「」は省略)

(雑賀)個人主義の高揚は暴力を助長する__フランスの社会学者・ミシェル・ヴィヴィオルカの著作からだ。

    更にヴィヴィヨルカは「主体を奪われた個人が、その不可能性を覆すための暴力もありうる」と展開した。

    私はシビュラシステム運営化で最も恐ろしいのは、そういうタイプの犯罪だと思っている。

    なぜなら犯罪者は、動機が個人的な欲望から遠ければ遠いほど、刑事にとっては手ごわい相手となるからだ。



(宜野座)そのための色相チェックや犯罪係数解析じゃないのか?

(雑賀)もちろん、犯罪係数を解析すれば一発だ。

    だが、堤防が決壊する瞬間のように、突発的、かつ同時多発的に暴力が発生する可能性は否定できない。



(狡噛)すみません。

(雑賀)んぁ? 何だ?

(狡噛)堤防を決壊させるには、何らかの方法でシビュラシステムの監視を潜り抜ける先導者の出現が、絶対条件であるように思われたのですが……。



(雑賀)ふん、君、狡噛慎也監視官だったね。

(狡噛)はい。

(雑賀)そんな先導者が現れた時、今の公安局は有効な対策を講じることが出来ると思うかぁ?

    ふふ。


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サイコパスラジオで言っていたシーンですね。正確には学生時代ではなく、狡噛と宜野座の新人時代で、雑賀の犯罪心理学の講義が行われている頃の話ですね。

この後にシーンの会話にも出てくる、公安局でかつて行われていた講義というものの内容がこんな難解な内容だとすれば、いくらエリートばかりとはいえ難解すぎて色相濁っちゃいそうですね。
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新シーン:オリジナル版 第10話 アバン冒頭部分に挿入
槙島の狡噛に対しての語り台詞 文字起こし(「」は省略)



君なんだな。

僕に犯罪に発生した、現時点最大の摩擦は……。



君の持つコンパスは正確か?

僕はこの世界において、限りなく罪と罰から遠い場所に立っている。


通常の手段で僕に追いつくことは出来ない。

そのためには__君は__頭の中にとても正しいコンパスと地図を持っていなければいけない。



昔から、一人遊びが苦手だった。

僕はどんな時でも、二項対立を欲しがった。

戦うこと、競うこと、思い切り楽しんでから脱構築主義者みたいに二項対立そのものをズラしていく作業が好きだ。



君はどの程度なんだ?

時々自分がどの程度なのか確かめたくなる。

自分の位置と自分の強さを試したくなる。


手伝ってくれるんだろ? 公安局執行官殿__。


____________________

これもかなりの名シーンの予感。

槙島の自信家の部分と「仲間に入れてもらえなかった子供」的な孤独の部分が入り混じっているよな語りです。

狡噛というターゲットを見つけたことで、槙島は自分のポジションを少し見つけられたんだろうね。


追加シーンによって、以前よりも槙島を理解できたからといって、彼が犯罪者であることは違いないんだけどさ。

それがまた悲しいよね。
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ご存知のとおり、第4話は都合により放送中止。
これを観る方法は、フジテレビオンデマンドでの視聴以外には、BD-BOXの発売を待たねばなりません。

新規カットを毎週楽しみにしていた身としては、「最悪のタイミング」であり、事件発生直後からその類似点による放送中止を心配していました。
しかし、必要以上に騒げば逆に荒波を立てるだけと考え、ブログやツイッターなどで、この件についての発言は放送中止決定まで控えました。



言い方は悪いのですが、静観していればメディアの向こう側の出来事で済んでしまうこと対して、わざわざ関係性を持ち、自分のリアルな生活に影響を及ぼすような行動をすることには何のメリットもないからです。

簡単に言ってしまえば、「PSYCHO-PASS -サイコパス-」新編集版の放送のほうが、私にとって生活の一部であり、あの事件のほうがフィクションと思えるほど距離感のある理解不可能な事件です。


社会的影響を鑑みれば、今回の放送・配信中止という判断は致し方ないとも思うし、むしろここで対抗して「2」「劇場版」に悪影響が出るほうが問題ですから、仕方ないと諦めることにしましたが、腹は立っています、ホント。

被害者が気の毒とか、加害者が許せないとか、そういった感情、倫理観とは全く違うファクターで、回りまわって本来無関係なこっちに被害が及んだことに憤りを感じてしまうんです。

しかしこの感情に素直に行動することが、決して状況を好転させることにはならないとも理解できているという、この二項対立!


あれ? 追加シーンの槙島に繋がったぞ???
うん、この感覚こそが「PSYCHO-PASS -サイコパス-」だよ。


もしかすると、槙島の言葉の重みを増させるために、神が我々ファンに与えた試練なのかもしれないよ、これは。
わたし、無神論者ですけどね。









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