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劇場版公開記念 2時間でわかる!魔法少女まどか☆マギカ
11月4日(月・祝)あさ8:00~放送!!
ナレーションは、ほむら役の斎藤千和さん
あにてれ
ありがとう、俺たちのテレ東。
もう新編観ちゃってるだろうけど、楽しみにしてるよ。
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劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語 岡田斗司夫も絶賛 [まどか☆マギカ]
第37回 日本アカデミー賞 優秀アニメーション作品賞を受賞した本作品。
惜しくも最優秀賞は逃したものの、深夜アニメ発の作品が、
キッチリ映像作品として評価されたというのには意味があるかと思います。
個人的にも近年で評価できるオリジナルアニメではトップクラス、独走です。
オタキングこと岡田斗司夫さんも、
ガンダム、エヴァ、コナン(未来少年だぜ!)に並ぶ名作に上げ、
「絶対に観ろ!」と強く太鼓判を押しております。
どうでもいい話ですが、岡田さん、また太ってきましたね。
レコーディングダイエットはもうしていないのでしょうか?
話はまど☆マギに戻りますが、結局劇場には1回しか行けませんでした。
11月末から体調を崩し、1月末まで毎日のように病院通い。
フリーランスは、病気になっても仕事をしないと生きていけませんので、
そんな中でも仕事をするのですが、病院通いがロスタイムになり、
結局土日返上でしっかり休めないという悪循環。
そんな状況で映画なんて観にいけないわけで。
ブルーレイ買ったら、その分ちゃんと観ようと思います。
限定版は特典が豪華なので、それだけでも楽しめそう
惜しくも最優秀賞は逃したものの、深夜アニメ発の作品が、
キッチリ映像作品として評価されたというのには意味があるかと思います。
個人的にも近年で評価できるオリジナルアニメではトップクラス、独走です。
オタキングこと岡田斗司夫さんも、
ガンダム、エヴァ、コナン(未来少年だぜ!)に並ぶ名作に上げ、
「絶対に観ろ!」と強く太鼓判を押しております。
どうでもいい話ですが、岡田さん、また太ってきましたね。
レコーディングダイエットはもうしていないのでしょうか?
話はまど☆マギに戻りますが、結局劇場には1回しか行けませんでした。
11月末から体調を崩し、1月末まで毎日のように病院通い。
フリーランスは、病気になっても仕事をしないと生きていけませんので、
そんな中でも仕事をするのですが、病院通いがロスタイムになり、
結局土日返上でしっかり休めないという悪循環。
そんな状況で映画なんて観にいけないわけで。
ブルーレイ買ったら、その分ちゃんと観ようと思います。
限定版は特典が豪華なので、それだけでも楽しめそう
【祝】劇場版『魔法少女まどか☆マギカ 新編』が日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞を受賞!! [まどか☆マギカ]
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語 完全生産限定版を予約 [まどか☆マギカ]
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ The Battle Pentagram [まどか☆マギカ]
12月19日に発売日を控えている、PS Vita用ソフト
「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ The Battle Pentagram」。
限定BOXはすでにプレミア価格が付いていたりしますが、
こういう現象がデフォルトになっている状態は、あまり好きではありませんねぇ。
とはいえ、通常版にも初回同梱特典 として、
『マミさんに電話できる! ボイスワールド「巴マミのホットライン」』
という携帯電話のボイスアプリ(のコード?)が同梱されているそうです。
気になるゲームの内容ですが、劇場版と銘打っているので、
新編絡みかと思ったらそうでもないようです。
「ワルプルギスの夜を5人で協力して何とか倒そう!」ということらしい。
つまり劇場版といっても、前・後編のほうみたいです。
しかし、もしワルプルギスの夜を倒せていたらというのは、
ほむらのループの一つとしては面白いし、それが叶うとどうなるのかは気になりますね。
あくまでもIFの世界ではありますが、これがキャラゲームの醍醐味でもありますね。
アクションゲームということで、若干私などは躊躇してしまうのですが、
難易度はどうなんでしょうね???
公式サイト
「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ The Battle Pentagram」。
限定BOXはすでにプレミア価格が付いていたりしますが、
こういう現象がデフォルトになっている状態は、あまり好きではありませんねぇ。
とはいえ、通常版にも初回同梱特典 として、
『マミさんに電話できる! ボイスワールド「巴マミのホットライン」』
という携帯電話のボイスアプリ(のコード?)が同梱されているそうです。
気になるゲームの内容ですが、劇場版と銘打っているので、
新編絡みかと思ったらそうでもないようです。
「ワルプルギスの夜を5人で協力して何とか倒そう!」ということらしい。
つまり劇場版といっても、前・後編のほうみたいです。
しかし、もしワルプルギスの夜を倒せていたらというのは、
ほむらのループの一つとしては面白いし、それが叶うとどうなるのかは気になりますね。
あくまでもIFの世界ではありますが、これがキャラゲームの醍醐味でもありますね。
アクションゲームということで、若干私などは躊躇してしまうのですが、
難易度はどうなんでしょうね???
公式サイト
ニコ生で一挙放送『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[前編]/始まりの物語&[後編]/永遠の物語』 [まどか☆マギカ]
ニコニコ生放送では、2013/11/15(金) 開場:18:30 開演:19:00で、
「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[前編]/始まりの物語」
「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[後編]/ 永遠の物語」
の一挙放送を行うそうです。
ニコニコ生放送
総集編として非常に良くまとまっていますので、未見の方は是非。
現在公開中の劇場版【新編】は、この前・後編の続編という位置づけだそうです。
「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[前編]/始まりの物語」
「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[後編]/ 永遠の物語」
の一挙放送を行うそうです。
ニコニコ生放送
総集編として非常に良くまとまっていますので、未見の方は是非。
現在公開中の劇場版【新編】は、この前・後編の続編という位置づけだそうです。
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語/[後編] 永遠の物語【完全生産限定版】 [Blu-ray] |
劇場版『まどか☆マギカ 叛逆の物語』2日間の興収は4億3600円! ヽ(゚Д゚)ノスゲー!! [まどか☆マギカ]
アニメ映画「まどマギ」興収4億円突破
まど☆マギ、プリキュアが1、2位だそうです。
バカな大人が、「魔法少女モノは儲かる!」という愚かなテンプレを発動させちゃいそうですね。
叛逆の物語はもう一度見たいと思っているので、この興行収益に少なからず加担しちゃいそうです。
まど☆マギ、プリキュアが1、2位だそうです。
バカな大人が、「魔法少女モノは儲かる!」という愚かなテンプレを発動させちゃいそうですね。
叛逆の物語はもう一度見たいと思っているので、この興行収益に少なからず加担しちゃいそうです。
魔法少女まどか☆マギカ Blu-ray Disc BOX(完全生産限定版) |
劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 感想 [まどか☆マギカ]
劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語を
本日鑑賞してまいりました!
オチの部分に全く触れずに感想を述べにくいので、
出来るだけボカしていますが、それでもネタバレがあります。
ご注意ください!
ksk
正直な感想ですが、「あぁ、そっちに持っていったか」ってカンジ。
予想外のオチでしたが、それもありかと。
綺麗な、ベタなオチよりも、この方がまど☆マギらしいし、
これならば、折角作った物語の世界を終焉させずにすむので、
後味はさておき、これはこれで有りだとは思います。
予想していた世界観も、やはりというか、当たり前ですが外れていました。
ほむらを主人公として捉えた時、ほむらが巻き込まれる展開しか
思い浮かばなかった自分は、物の見方が一元的過ぎましたね。
考えてみれば、ほむらが「救われるべき最後の魔法少女」と考えれば、
ああいった世界があっても、なんら不思議ではないし、
インキュベーターの存在を甘く見ていた、見逃していたのはミスでした。
ほむらがあの世界に違和感を覚え、それが魔女の仕業と確信した時点で
ハッと気が付いたのですが、考えるより先に場面が展開していってしまいました。
前の世界では叶わなかった魔法少女5人がそろっての戦闘・日常といった、
ファンサービスの要素をしっかりと入れながらも、徐々に核心に迫り、
スルスルッと、ほむらの感情、本心にフォーカスしていくシナリオは見事。
独特の世界観を作り上げる劇団イヌカレーの美術が、最初から全開だったのも、
あの世界の秘密が解かれたときに「なるほど」と納得がいきました。
起・承・転までは、非常に巧みな構成で、観る者を全く飽きさせませんでした。
結末は、望んだ方向にならないと悟った時点で、もうされるがままの放心状態。
ノーガードで立ち尽くしている、サンドバックですよ。
期待通りの展開になるはずもないとはわかっていながらも、
自分としては、それでもほむらとまどかの真の再会を望んでいたので、
泣く気満々で、ハンカチを用意していたのですが、全く必要なし!
「これじゃ、何も解決していないじゃないか!」と
エンドロールを観ながら悶々としていたのですが、
この物語はあくまで[新編]であり[完結編]ではないんですよね。
また、「叛逆の物語」というサブタイトルの意味も
これまで深く考えていなかったことに気が付きました。
「誰」が「誰」に対して叛逆するのか?
私は「まどかとほむら」が「インキュベーター」にだと決め付け、
それ以外の可能性を一切考えなかった。
唯一、自分の予想と当たったのは、ほむらが魔法少女ではなくなるのでは?というところ。
経緯は全く違うし、そのあり方も全然異なるのですが、確かに魔法少女ではなくなりましたね。
思い返すと、TV版ラストのほむらと魔獣との最終決戦と思しきカットでは、
あの「ダークほむほむ」とよく似た翼をほむらは背負っていたし、
魔獣の世界では、武器も「ほむスピナー」ではなく、弓に変化していましたよね。
まどかと同じ、弓に変化したのは、まどかの守ろうとした世界で戦い続ける、
ほむらの決意の表れだと、これまでは解釈していたのですが、
今思うと、まどかと対にするという意味合いだったのかもしれませんね。
そうなると、新房監督や井上プロデューサーが押したというこの新編の展開は、
実のところ、TV版製作時には、すでに固まっていたお話なのかもしれません。
まどかとほむらはコンビではなく、対になる存在。
そう考えれば、この物語の一つの形として、これはこれで有りだと思うわけです。
また、魔法少女というというか、それになった少女が実にデリケートな存在で、
その精神や物事の考え方が、非常に危ういものだというのも、これまた仕方がない。
観る人によっては、このほむらのたどり着いた答えに嫌悪するんだろうけど、
私は仕方ないのかなぁ、と思えてしまったのです。
[新編]製作にあたっての、物語の展開決定の経緯にについては、
パンフレットでも触れられていました。
限定版(?)はなかなか凝った装丁なので、記念にぜひお求めくださいwwwww。
新房監督とシナリオの虚淵玄さんのインタビューは必見かつ、超ネタバレなので、
「ネタバレチュウイ!」の封印シールには、ちゃんと従ったほうがいいですよ。
この封印シールは糊が弱いので綺麗に剥がせます。ご安心を!
パンフにも書かれていますが、一度観ただけだと、
かなり見落としている部分があると思われます。
オチを知った上で、もう一度観てみたいと思うので、公開中にまた行くことにします。
本日鑑賞してまいりました!
オチの部分に全く触れずに感想を述べにくいので、
出来るだけボカしていますが、それでもネタバレがあります。
ご注意ください!
ksk
正直な感想ですが、「あぁ、そっちに持っていったか」ってカンジ。
予想外のオチでしたが、それもありかと。
綺麗な、ベタなオチよりも、この方がまど☆マギらしいし、
これならば、折角作った物語の世界を終焉させずにすむので、
後味はさておき、これはこれで有りだとは思います。
予想していた世界観も、やはりというか、当たり前ですが外れていました。
ほむらを主人公として捉えた時、ほむらが巻き込まれる展開しか
思い浮かばなかった自分は、物の見方が一元的過ぎましたね。
考えてみれば、ほむらが「救われるべき最後の魔法少女」と考えれば、
ああいった世界があっても、なんら不思議ではないし、
インキュベーターの存在を甘く見ていた、見逃していたのはミスでした。
ほむらがあの世界に違和感を覚え、それが魔女の仕業と確信した時点で
ハッと気が付いたのですが、考えるより先に場面が展開していってしまいました。
前の世界では叶わなかった魔法少女5人がそろっての戦闘・日常といった、
ファンサービスの要素をしっかりと入れながらも、徐々に核心に迫り、
スルスルッと、ほむらの感情、本心にフォーカスしていくシナリオは見事。
独特の世界観を作り上げる劇団イヌカレーの美術が、最初から全開だったのも、
あの世界の秘密が解かれたときに「なるほど」と納得がいきました。
起・承・転までは、非常に巧みな構成で、観る者を全く飽きさせませんでした。
結末は、望んだ方向にならないと悟った時点で、もうされるがままの放心状態。
ノーガードで立ち尽くしている、サンドバックですよ。
期待通りの展開になるはずもないとはわかっていながらも、
自分としては、それでもほむらとまどかの真の再会を望んでいたので、
泣く気満々で、ハンカチを用意していたのですが、全く必要なし!
「これじゃ、何も解決していないじゃないか!」と
エンドロールを観ながら悶々としていたのですが、
この物語はあくまで[新編]であり[完結編]ではないんですよね。
また、「叛逆の物語」というサブタイトルの意味も
これまで深く考えていなかったことに気が付きました。
「誰」が「誰」に対して叛逆するのか?
私は「まどかとほむら」が「インキュベーター」にだと決め付け、
それ以外の可能性を一切考えなかった。
唯一、自分の予想と当たったのは、ほむらが魔法少女ではなくなるのでは?というところ。
経緯は全く違うし、そのあり方も全然異なるのですが、確かに魔法少女ではなくなりましたね。
思い返すと、TV版ラストのほむらと魔獣との最終決戦と思しきカットでは、
あの「ダークほむほむ」とよく似た翼をほむらは背負っていたし、
魔獣の世界では、武器も「ほむスピナー」ではなく、弓に変化していましたよね。
まどかと同じ、弓に変化したのは、まどかの守ろうとした世界で戦い続ける、
ほむらの決意の表れだと、これまでは解釈していたのですが、
今思うと、まどかと対にするという意味合いだったのかもしれませんね。
そうなると、新房監督や井上プロデューサーが押したというこの新編の展開は、
実のところ、TV版製作時には、すでに固まっていたお話なのかもしれません。
まどかとほむらはコンビではなく、対になる存在。
そう考えれば、この物語の一つの形として、これはこれで有りだと思うわけです。
また、魔法少女というというか、それになった少女が実にデリケートな存在で、
その精神や物事の考え方が、非常に危ういものだというのも、これまた仕方がない。
観る人によっては、このほむらのたどり着いた答えに嫌悪するんだろうけど、
私は仕方ないのかなぁ、と思えてしまったのです。
[新編]製作にあたっての、物語の展開決定の経緯にについては、
パンフレットでも触れられていました。
限定版(?)はなかなか凝った装丁なので、記念にぜひお求めくださいwwwww。
新房監督とシナリオの虚淵玄さんのインタビューは必見かつ、超ネタバレなので、
「ネタバレチュウイ!」の封印シールには、ちゃんと従ったほうがいいですよ。
この封印シールは糊が弱いので綺麗に剥がせます。ご安心を!
パンフにも書かれていますが、一度観ただけだと、
かなり見落としている部分があると思われます。
オチを知った上で、もう一度観てみたいと思うので、公開中にまた行くことにします。
テレ東が劇場版まどマギ特集を朝から2時間放送 [まどか☆マギカ]
劇場版公開記念 2時間でわかる!魔法少女まどか☆マギカ
11月4日(月・祝)あさ8:00~放送!!
ナレーションは、ほむら役の斎藤千和さん
あにてれ
ありがとう、俺たちのテレ東。
もう新編観ちゃってるだろうけど、楽しみにしてるよ。
劇場版 魔法少女 まどか☆マギカ ウエハース Vol.5 20個入 BOX (食玩・ウエハース) |
「魔法少女は否定されてしまうのか?」 劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 [まどか☆マギカ]
「魔法少女は否定されてしまうのか?」
新編では最終的に魔法少女は無きものにされてしまうのではないか?
私の妄想プロットでは、そんな疑問が浮上しました。
祈りを叶えてもらう代わりに魔法少女になる。
魔法少女によって得られるエネルギーをインキュベーターは集め、
宇宙全体のエネルギーの維持に努めている。
インキュベーターは知的生命体としての人類の進化にも深く関わっており、
大局的には共存関係にあるといえる。
魔法少女の敵が魔女であろうが魔獣であろうが、基本的関係は変わっていませんでした。
「何もかも、なかったことにするしかなかった。」
世界改変の折、まどかがさやかに対して口にしたこの釈明とも思える台詞。
これは、魔法少女そのものもなかったことにしてしまうという意味なのか?
私はこの台詞がどうにも気になるのです。
個人的には、魔法少女というファンタジックでヒロイックな存在を
否定して欲しくないという気持ちと、
そういった「超人的な力」に頼らずとも、祈りや希望の強さによって、
人類も、それが創る世界も少しずつ進化してきたはずという、
「人間の力」を信じたいという気持ちがぶつかり合ってしまいます。
お話として、どちらが美しいかな~と。
できればどちらも満たしたいと思うので、それを実現させるには
魔法少女とインキュベーターの基本的関係を崩すしかない。
例えば……、
魔法少女を介さずとも人類の感情エネルギーを回収する効率的な方法を
まどかが作り上げ、それがインキュベーターの概念となる。
彼らは直接的、積極的に人類に関与する必要性がなくなる。
一方、魔法少女は人類の希望を導く概念のような存在、つまり神のような存在として人々の心に存在する。
その神のごとき存在があるから、人は希望を持ち、それが宇宙全体のエネルギーにもなっている。
あえて言葉にすると、何だか宗教がかった綺麗事に聞こえてしまいますが、
人の希望や祈りそのものが、魔法なんだよ♪ みたいなカンジなら上手くまとまる気がするわけです。
その上で、実は魔法少女はいるんですよ~ という含みを持たせると、
プリキュア大好きな大小のお友達にも顔向けはできるかと。
もちろん大局的にまとまることが、お話としていいかどうかは別問題なので、
魔法少女否定でも、それはそれでいいかとも思うのですが。
劇場公開も今週末に迫り、かなり足早に結末の予想をしてみたのですが、
思いの外情報が開示されず、シナリオ仕立てにすることは無理でした。
それ以前に、自分には文才というものが本当にないのだと・・・・・・。
残念ながら、公開日には足を運べそうもないのですが、
明けの平日に、こっそり観にいこうと思っています。
それまではネットも見ないようにしないと。
劇場へ行ってからの感想はこちら
劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 感想
前回はこちら
「妄想プロット編」 劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 [まどか☆マギカ]
新編では最終的に魔法少女は無きものにされてしまうのではないか?
私の妄想プロットでは、そんな疑問が浮上しました。
祈りを叶えてもらう代わりに魔法少女になる。
魔法少女によって得られるエネルギーをインキュベーターは集め、
宇宙全体のエネルギーの維持に努めている。
インキュベーターは知的生命体としての人類の進化にも深く関わっており、
大局的には共存関係にあるといえる。
魔法少女の敵が魔女であろうが魔獣であろうが、基本的関係は変わっていませんでした。
「何もかも、なかったことにするしかなかった。」
世界改変の折、まどかがさやかに対して口にしたこの釈明とも思える台詞。
これは、魔法少女そのものもなかったことにしてしまうという意味なのか?
私はこの台詞がどうにも気になるのです。
個人的には、魔法少女というファンタジックでヒロイックな存在を
否定して欲しくないという気持ちと、
そういった「超人的な力」に頼らずとも、祈りや希望の強さによって、
人類も、それが創る世界も少しずつ進化してきたはずという、
「人間の力」を信じたいという気持ちがぶつかり合ってしまいます。
お話として、どちらが美しいかな~と。
できればどちらも満たしたいと思うので、それを実現させるには
魔法少女とインキュベーターの基本的関係を崩すしかない。
例えば……、
魔法少女を介さずとも人類の感情エネルギーを回収する効率的な方法を
まどかが作り上げ、それがインキュベーターの概念となる。
彼らは直接的、積極的に人類に関与する必要性がなくなる。
一方、魔法少女は人類の希望を導く概念のような存在、つまり神のような存在として人々の心に存在する。
その神のごとき存在があるから、人は希望を持ち、それが宇宙全体のエネルギーにもなっている。
あえて言葉にすると、何だか宗教がかった綺麗事に聞こえてしまいますが、
人の希望や祈りそのものが、魔法なんだよ♪ みたいなカンジなら上手くまとまる気がするわけです。
その上で、実は魔法少女はいるんですよ~ という含みを持たせると、
プリキュア大好きな大小のお友達にも顔向けはできるかと。
もちろん大局的にまとまることが、お話としていいかどうかは別問題なので、
魔法少女否定でも、それはそれでいいかとも思うのですが。
劇場公開も今週末に迫り、かなり足早に結末の予想をしてみたのですが、
思いの外情報が開示されず、シナリオ仕立てにすることは無理でした。
それ以前に、自分には文才というものが本当にないのだと・・・・・・。
残念ながら、公開日には足を運べそうもないのですが、
明けの平日に、こっそり観にいこうと思っています。
それまではネットも見ないようにしないと。
劇場へ行ってからの感想はこちら
劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 感想
前回はこちら
「妄想プロット編」 劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 [まどか☆マギカ]
魔法少女まどか☆マギカ 香水 A.鹿目まどか[ムービック]《11月予約※暫定》 |
「妄想プロット編」 劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 [まどか☆マギカ]
「妄想プロット編」
ここまで分析・推測してきてある事に気が付きました。
ほむらが変わらない限り、魔法少女は何かと戦わなければならないんじゃないか?
ほむらが救うべき魔法少女の最後の一人だとするならば、
彼女が囚われている呪縛そのものが、新編の世界観そのものという事になる。
他の魔法少女はすでに救われてしまっているはずだから、
魔法少女として戦う理由は状況でしかない。
もちろん、祈りの対価が戦うことだという魔法少女の前提が在るからなのだけど、
戦うために魔法少女になったわけでもない。
ほむらも、まどかとの出会いをやり直すという祈りがあったものの、
まどかが概念になってしまったことで、まどかが救おうとした世界を
「何か」の脅威から守るために戦い続けている。
その行動は本来の目的からずれてしまっていて、
ほむらにとって魔法少女でいるためには「何か」と戦わなければならない。
もし、ほむらが手詰まりになり、まどかのためにではなく自分のために、
以前と同じように時間遡行能力を使っていたとして、
それとは別に、まどかの世界改変は着実に進行していたとすれば、
ほむらは自分自身に因果の糸を絡めていってしまっていることになる。
つまり、ほむらが最終的に取り残されてしまう世界は、まどかが生み出した世界ではなく、
ほむら自身が生み出した世界ということになる。
そう考えると、魔法少女同士が戦わなければならない状況というのも説明がつくし、
もしその元凶が自分にあるとは、ほむら自身が気が付いていないとするならば、
ナイトメアという都合のいい敵の存在を作り上げることも可能だ。
もしかすると新編の世界は1つではないのかもしれない。
まず、ナイトメアと戦う世界があり、それとは別に魔法少女同士が戦う世界が
あるのかもしれない。
ほむらは、他の魔法少女たちが救われる(もしくは救われた後の)世界の
ある特定の時間を何度も繰り返し、最終的に自分だけが救われていない世界に到達する。
このことことを説明するためには、少なくとも1度は時間遡行し、
次の世界で逃げられない状況にしたほうが、お話としてわかりやすい。
そして最終ステージとなる世界は、魔法少女同士が闘わなければならない世界。
自らの祈りの代償として、他の魔法少女の祈りを撃ち砕かなければならない。
ほむらは「これは、まどかが最も望んだ世界ではない」という疑問を持つ。
そこでほむらに「気づき」を与える存在として登場するのが
新キャラクター・百江なぎさなのでは?
明らかに子供の外見ではあるが、魔法少女は第二次成長期の少女である必要性が
あったはずなので、外見よりもずっとおませさんなのは想像に難くない。
毒舌幼女に核心を衝かれ、逆上→自己嫌悪→絶望。
(トレーラーにあった、ほむらが銃で自害しそうなシーンがコレ?)
さやかの台詞の「また自分だけの時間に逃げ込むつもり?」も、
再び今の時間(世界)をなかった事にしようとするほむらに対し、
過去に逃げるのではなく、未来に向かえという意味合いとも取れます。
それが結果的に「魔法少女」という精神的な鎧を捨て去る決意に繋がり、
純粋にまどかとの再会を望みながら時間遡行__
つまり未来に向かって過去へ飛びます。
魔法少女としての能力や、まどかとの記憶も失くしてしまうのですが、
たどり着いた世界にはまどかがいる。
やり直しの効く今を生きることは、未来に向かって生きている事にはならない。
その事に気が付きさえすれば、ほむらは直ぐにでもまどかと再会することができたのに。
こんな「希望は、未来へと繋がる」みたいな使い古されたテーマではあるのですが、
何だかんだで王道を行く虚淵さんのことですから、仕掛けはともかくとして、
シンプルなところに落とし込んでくるのではないかと思うのです。
新編の予告編でもほむらがまどかに対し「貴方は誰?」という台詞がありましたが、
これは、ほむらとまどかの出会いが、本当の意味でやり直されるという意味なのかなと。
このときに全ての改変が完了、つまりまどかの祈りも成就されたということになります。
また、まどかがほむらの前に再び現れた場合、
そのまどかは以前のまどかと同一人物といえるのか、
それとも、概念となったまどかが生み出した、もう一人のまどかなのか、これもややこしい。
最新のトレーラーでは、ほむらが自らソウルジェムを噛み砕くシーンがありますが、
これは一体何を意味しているのか? (これも自害か?)
単純にまどかによって最終的には救われる行為だとしても、噛み砕くって、
相当の覚悟がありますよってことだと思うのです。
そうなると、ほむらが魔法少女ではなくなり、まどかも人間に戻った世界には、
もう魔法少女はいないんじゃないかと。
全ての魔法少女が救われた後、魔法少女という存在が無きものにされてしまう。
この真意がどういうものかによって、
この作品の後味は随分変わってしまう気がします。
次回「魔法少女は否定されてしまうのか?」へつづく。
ここまで分析・推測してきてある事に気が付きました。
ほむらが変わらない限り、魔法少女は何かと戦わなければならないんじゃないか?
ほむらが救うべき魔法少女の最後の一人だとするならば、
彼女が囚われている呪縛そのものが、新編の世界観そのものという事になる。
他の魔法少女はすでに救われてしまっているはずだから、
魔法少女として戦う理由は状況でしかない。
もちろん、祈りの対価が戦うことだという魔法少女の前提が在るからなのだけど、
戦うために魔法少女になったわけでもない。
ほむらも、まどかとの出会いをやり直すという祈りがあったものの、
まどかが概念になってしまったことで、まどかが救おうとした世界を
「何か」の脅威から守るために戦い続けている。
その行動は本来の目的からずれてしまっていて、
ほむらにとって魔法少女でいるためには「何か」と戦わなければならない。
もし、ほむらが手詰まりになり、まどかのためにではなく自分のために、
以前と同じように時間遡行能力を使っていたとして、
それとは別に、まどかの世界改変は着実に進行していたとすれば、
ほむらは自分自身に因果の糸を絡めていってしまっていることになる。
つまり、ほむらが最終的に取り残されてしまう世界は、まどかが生み出した世界ではなく、
ほむら自身が生み出した世界ということになる。
そう考えると、魔法少女同士が戦わなければならない状況というのも説明がつくし、
もしその元凶が自分にあるとは、ほむら自身が気が付いていないとするならば、
ナイトメアという都合のいい敵の存在を作り上げることも可能だ。
もしかすると新編の世界は1つではないのかもしれない。
まず、ナイトメアと戦う世界があり、それとは別に魔法少女同士が戦う世界が
あるのかもしれない。
ほむらは、他の魔法少女たちが救われる(もしくは救われた後の)世界の
ある特定の時間を何度も繰り返し、最終的に自分だけが救われていない世界に到達する。
このことことを説明するためには、少なくとも1度は時間遡行し、
次の世界で逃げられない状況にしたほうが、お話としてわかりやすい。
そして最終ステージとなる世界は、魔法少女同士が闘わなければならない世界。
自らの祈りの代償として、他の魔法少女の祈りを撃ち砕かなければならない。
ほむらは「これは、まどかが最も望んだ世界ではない」という疑問を持つ。
そこでほむらに「気づき」を与える存在として登場するのが
新キャラクター・百江なぎさなのでは?
明らかに子供の外見ではあるが、魔法少女は第二次成長期の少女である必要性が
あったはずなので、外見よりもずっとおませさんなのは想像に難くない。
毒舌幼女に核心を衝かれ、逆上→自己嫌悪→絶望。
(トレーラーにあった、ほむらが銃で自害しそうなシーンがコレ?)
さやかの台詞の「また自分だけの時間に逃げ込むつもり?」も、
再び今の時間(世界)をなかった事にしようとするほむらに対し、
過去に逃げるのではなく、未来に向かえという意味合いとも取れます。
それが結果的に「魔法少女」という精神的な鎧を捨て去る決意に繋がり、
純粋にまどかとの再会を望みながら時間遡行__
つまり未来に向かって過去へ飛びます。
魔法少女としての能力や、まどかとの記憶も失くしてしまうのですが、
たどり着いた世界にはまどかがいる。
やり直しの効く今を生きることは、未来に向かって生きている事にはならない。
その事に気が付きさえすれば、ほむらは直ぐにでもまどかと再会することができたのに。
こんな「希望は、未来へと繋がる」みたいな使い古されたテーマではあるのですが、
何だかんだで王道を行く虚淵さんのことですから、仕掛けはともかくとして、
シンプルなところに落とし込んでくるのではないかと思うのです。
新編の予告編でもほむらがまどかに対し「貴方は誰?」という台詞がありましたが、
これは、ほむらとまどかの出会いが、本当の意味でやり直されるという意味なのかなと。
このときに全ての改変が完了、つまりまどかの祈りも成就されたということになります。
また、まどかがほむらの前に再び現れた場合、
そのまどかは以前のまどかと同一人物といえるのか、
それとも、概念となったまどかが生み出した、もう一人のまどかなのか、これもややこしい。
最新のトレーラーでは、ほむらが自らソウルジェムを噛み砕くシーンがありますが、
これは一体何を意味しているのか? (これも自害か?)
単純にまどかによって最終的には救われる行為だとしても、噛み砕くって、
相当の覚悟がありますよってことだと思うのです。
そうなると、ほむらが魔法少女ではなくなり、まどかも人間に戻った世界には、
もう魔法少女はいないんじゃないかと。
全ての魔法少女が救われた後、魔法少女という存在が無きものにされてしまう。
この真意がどういうものかによって、
この作品の後味は随分変わってしまう気がします。
次回「魔法少女は否定されてしまうのか?」へつづく。
魔法少女まどか☆マギカ ソウルジェムストラップ4 全10種セット (定形外対応) |